はじめに

パンやお菓子のレシピを開くと、「ドライイースト」と書かれていたり「天然酵母」と書かれていたりして、両者はどう違うのか疑問に思った方も多いのではないでしょうか。ベーカリーの店頭でも「天然酵母使用」という表記を見かけることが増え、なんとなく天然酵母のほうが体に良さそうだという印象を持つ方もいるかもしれません。しかし、実際のところイーストも天然酵母も、どちらも自然界に存在する「酵母菌」であることに変わりはありません。本記事では、お菓子の辞典として知っておきたい「イースト」と「天然酵母」の定義、分類、特徴、使い分けのポイントなどを、原材料の視点から詳しく解説します。

そもそも「酵母」とは何か

酵母とは、自然界のあらゆる場所に生息している微生物(真菌類)の一種です。果物の皮、花の蜜、土壌、空気中など、私たちの身のまわりには数え切れないほどの種類の酵母が存在しています。酵母は糖分を分解して「アルコール」と「二酸化炭素(炭酸ガス)」を生成するアルコール発酵を行う性質を持ち、この性質がパンやお菓子の生地を膨らませ、ビールやワインなどのアルコール飲料を生み出す源になっています。

パンやお菓子に利用される酵母は、分類学上「サッカロマイセス・セレビシエ(Saccharomyces cerevisiae)」という学名を持つ出芽酵母に属しています。パン作りに使うイーストも、天然酵母として市販されている製品も、いずれもこの「サッカロマイセス・セレビシエ」の仲間です。つまり、酵母を英訳した言葉が「イースト(Yeast)」であり、両者は本来同じものを指しています。

イーストとは

イーストの定義と製法

パン業界やお菓子業界で「イースト」と呼ばれるものは、自然界に存在する無数の酵母菌の中からパンの発酵に最も適した単一の菌株を選び出し、工場で純粋培養したものを指します。培養に際しては、糖蜜(サトウキビなどから砂糖を精製した後の副産物)を栄養源として大量に増殖させ、安定した品質の酵母を効率的に生産しています。このように工業的に管理された環境で作られるため、発酵力が強く安定しており、初心者でも失敗しにくいという大きな利点があります。

イーストの種類

イーストには形状や製法の異なるいくつかの種類があり、それぞれ用途や使い方に違いがあります。

生イーストは、培養した酵母を脱水して粘土状に固めたものです。水分含有量が約70%と多く、しっとりとした質感を持っています。発酵力が強く、特に砂糖を多く含む菓子パンやブリオッシュなどのリッチな生地(高糖生地)との相性に優れています。イースト臭も比較的穏やかで、パン本来の風味を活かしやすい点が魅力です。ただし、冷蔵保存で約2週間という短い消費期限が欠点であり、主にパン屋や製菓工場などで日常的に大量にパンを焼く現場で使われています。

ドライイーストは、生イーストを低温でゆっくり乾燥させ、粒状にしたものです。水分含有量は約8%まで下がり、未開封であれば常温で1年以上の長期保存が可能です。使用前にはぬるま湯(約40℃)に溶かして酵母を活性化させる「予備発酵」が必要ですが、その分、発酵中にイースト臭が抑えられ、小麦粉本来の香りを引き出しやすい特徴があります。フランスパンなど副材料の少ないハード系のパンやシンプルなお菓子に適しています。

インスタントドライイーストは、生イーストを急速に乾燥させ、さらに乳化剤を加えて顆粒状にしたものです。粒子が細かいため、予備発酵なしに直接小麦粉に混ぜて使うことができ、家庭でのパン作りやホームベーカリーで最も広く使われている種類です。代表的な製品としてはフランスの「ルサッフル社」が製造する「サフ」ブランドが世界的に有名で、リーン生地(低糖生地)向けの「赤サフ」と、砂糖12%以上の高糖生地に対応した耐糖性タイプの「金サフ」が広く流通しています。日本国内では、日清製粉グループの「スーパーカメリヤドライイースト」やニップンの「ふっくらパンドライイースト」なども定番製品として知られています。

セミドライイーストは、生イーストとインスタントドライイーストの長所を兼ね備えた比較的新しいタイプの製品です。生イーストのようにイースト臭が少なく風味が豊かでありながら、インスタントドライイーストのように粉に直接混ぜて使える手軽さがあります。冷凍保存で製造から約2年間保存できるため、使いたい分だけ取り出して使うことができます。

天然酵母とは

天然酵母の定義

「天然酵母」という言葉には、実は法律や業界で統一された厳密な定義が存在しません。一般的には、果物や穀物、花などの自然素材に付着している複数の野生酵母を、選別せずにそのまま培養したものを天然酵母と呼んでいます。イーストが単一の酵母菌株を純粋培養しているのに対して、天然酵母にはパンの発酵に直接関わる酵母だけでなく、乳酸菌や酢酸菌などさまざまな微生物が共存しているのが大きな特徴です。この多様な微生物の働きが、天然酵母ならではの複雑で奥深い味わいや香りを生み出しています。

パン業界では「酵母はそもそも全て天然のものであるため、天然酵母という呼び方は誤解を招きやすい」との見解もあり、自家培養した酵母については「自家製酵母」と表記することが推奨される傾向にあります。

天然酵母の種類

天然酵母は、大きく分けて「自家製天然酵母」と「市販のドライタイプ天然酵母」の二つに分類できます。

**自家製天然酵母(自家製酵母・野生酵母)**は、レーズンやリンゴ、ぶどう、ヨーグルトなどの素材を瓶に入れ、水を加えて数日間かけて発酵・培養して作る酵母です。素材選びから培養、生種起こし、そしてパン生地の発酵まですべてが手作業で行われるため、完成までに1週間以上かかることも珍しくありません。温度管理や衛生管理に細心の注意が必要で、発酵力が不安定なことも多く、パン作りの中でも上級者向けの手法です。しかし、使う素材によって風味が大きく変化し、レーズン酵母ならほのかな甘みと芳醇な香り、リンゴ酵母ならフルーティーな爽やかさなど、唯一無二のパンやお菓子を作れる点が最大の魅力です。

市販のドライタイプ天然酵母は、培養済みの天然酵母を乾燥させて長期保存を可能にした製品で、自家製酵母ほどの手間をかけずに天然酵母の風味を楽しむことができます。代表的な製品には以下のようなものがあります。

「ホシノ天然酵母パン種」は、国産小麦、国産減農薬米、麹、水を原料に、日本古来の醸造技術を活かして作られた酵母です。使用前に約24時間かけて「生種起こし」を行う必要がありますが、麹由来の芳醇でまろやかな甘味としっとりした食感が得られ、食パンから菓子パン、フランスパンまで幅広く使えます。姉妹品の「ホシノ丹沢酵母パン種」は、神奈川県の丹沢山塊で採取された酵母を使用しており、すっきりとした甘い香りが特徴です。

「白神こだま酵母」は、1997年に世界自然遺産・白神山地の腐葉土から、酵母菌研究の第一人者である小玉健吉博士と秋田県総合食品研究所の共同研究によって発見された野生酵母です。種起こしも予備発酵も不要で、ぬるま湯に溶かして約5分待つだけで使える手軽さが特徴です。トレハロースを多く含むという特性があり、独特の甘い香りとモチモチとした食感のパンが焼けます。個性的な風味は好みが分かれるところですが、一度ハマるとやみつきになるファンも多い酵母です。

「とかち野酵母」は、北海道十勝地方のエゾヤマザクラのサクランボから分離された酵母で、株式会社ニッテンが商品化しています。インスタントドライイーストタイプも販売されており、そのまま粉に混ぜて使える手軽さがあります。すっきりと澄んだ上品な風味が特徴で、クセが少なく初めて天然酵母に挑戦する方にも使いやすい製品です。

「あこ天然培養酵母」は、小麦粉と米を原料に丁寧に培養された酵母で、穏やかで安定した発酵力があります。ストロングタイプとライトタイプの2種類があり、パンの用途に応じて使い分けることができます。

イーストと天然酵母の違いを比較

ここまでの内容を踏まえ、両者の違いを主要な観点から整理します。

培養方法の違いとして、イーストはパン作りに最も適した単一の酵母菌株を工業的に純粋培養しているのに対し、天然酵母は自然の素材に付着した複数の酵母菌や乳酸菌などを選別せず、そのまま培養しています。この違いが、以降のすべての相違点の根本にあります。

発酵力の違いについては、イーストが強くて安定した発酵力を持ち、短時間でパン生地を膨らませることができるのに対し、天然酵母は発酵に関与しない菌も含まれているため発酵力が弱く不安定な傾向にあります。天然酵母でパンを焼く場合はイーストよりも長い発酵時間を確保する必要があり、場合によっては倍以上の時間がかかることもあります。

風味と食感の違いは最も顕著に表れるポイントです。イーストで作ったパンやお菓子は、ふんわりと軽い食感に仕上がり、クセの少ないなじみのある味わいになります。一方、天然酵母で作った場合は、乳酸菌などの働きによる複雑で奥深い風味が生まれ、素材由来の独特の香りが楽しめます。食感はどっしりと重みがあり、噛むほどに味わいが広がる傾向があります。クラム(パンの内側の白い部分)の気泡も小さく、目が詰まった仕上がりになりやすいです。

使いやすさの違いにおいては、インスタントドライイーストなら予備発酵不要でそのまま粉に混ぜるだけで使えるため、初心者やホームベーカリーユーザーにとって非常に手軽です。天然酵母は自家製の場合、酵母の培養に1週間以上を要し、市販品でもホシノ天然酵母のように24時間程度の生種起こしが必要なものがあります。ただし、白神こだま酵母やとかち野酵母のインスタントタイプのように、種起こし不要で手軽に使える天然酵母製品も増えています。

添加物の有無に関しては、インスタントドライイーストには発酵の安定性を高めるためにビタミンCや乳化剤が添加されている製品が一般的です。天然酵母は無添加のものが多いですが、すべてが無添加とは限らず、製品ごとに原材料表示を確認することが大切です。なお、イーストに含まれるビタミンCや乳化剤はいずれも食品安全基準を満たした食品添加物であり、健康への悪影響は報告されていません。

保存性と価格の違いについては、インスタントドライイーストは未開封で約2年の長期保存が可能で、価格も300円台から手に入る手頃なものが多く流通しています。天然酵母の市販品はおおむね700〜2,000円程度の価格帯で、ホシノ天然酵母パン種のように冷蔵保存が必要な製品もあり、保存期間はイーストより短い傾向にあります。

お菓子作りにおける使い分けのポイント

パンだけでなく、発酵を伴うお菓子にもイーストや天然酵母は使われます。ブリオッシュ、シュトーレン、パネトーネ、サバラン、クグロフなどの発酵菓子は、酵母の選び方によって風味や食感が大きく変わります。

砂糖やバターを多く含むリッチな発酵菓子には、耐糖性のある金サフや生イーストが安定した仕上がりを実現してくれます。一方、素朴な味わいや小麦の風味を前面に出したい場合には、天然酵母を使うことで奥行きのある味わいが生まれます。ホシノ天然酵母を使ったシュトーレンは、麹由来のまろやかな甘みが生地と溶け合い、熟成させるほどに深い味わいが増すとして人気があります。

家庭で手軽にお菓子作りを楽しみたい方にはインスタントドライイーストが最適ですが、時間をかけてでもこだわりの一品を作りたい方は、ぜひ天然酵母に挑戦してみてください。種類ごとに風味が異なるため、いくつかの天然酵母を試して自分好みのものを見つけるのも楽しみの一つです。

まとめ

イーストと天然酵母は、どちらも自然界に存在する酵母菌(サッカロマイセス・セレビシエ)をパンやお菓子作りに活用したものであり、本質的には同じ「パン酵母」です。両者の違いは、単一菌株を純粋培養したものか(イースト)、複数の微生物が混在した状態で培養したものか(天然酵母)という培養方法の違いに集約されます。この違いが、発酵力、風味、食感、使いやすさなど、あらゆる面での特性の差として表れています。

イーストは安定した発酵力と扱いやすさから、日常のパン作りやお菓子作りの頼もしい味方です。天然酵母は手間と時間を必要としますが、それに見合うだけの複雑で豊かな風味を生み出してくれます。どちらが優れているということではなく、作りたいお菓子やパンの種類、求める風味、ライフスタイルに合わせて選ぶことが大切です。

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