はじめに — お菓子作りにおけるバターの重要性

お菓子作りにおいて、バターは風味・食感・香りのすべてを左右する最も重要な原材料のひとつです。クッキーの「サクッ」とした歯触りも、フィナンシェの芳ばしい焦がしバターの香りも、クロワッサンの幾重にも折り重なったリッチな層も、すべてバターなくしては成り立ちません。近年、日本のお菓子業界でも「発酵バター」を使用した製品が急増し、専門店や量販店の棚にも「発酵バター使用」を謳う焼き菓子が数多く並ぶようになりました。

しかし、「バター」と「発酵バター」は具体的に何がどう違うのでしょうか。本記事では、その定義・歴史・製法・成分・風味・お菓子作りにおける使い分け・代表的な商品・保存上の注意点まで、お菓子の原材料としての視点から詳細に解説します。

バターの定義と基本

法令上の定義

バターは、「乳及び乳製品の成分規格等に関する命令(乳等命令)」において、「生乳、牛乳又は特別牛乳から得られた脂肪粒を練圧したもの」と定義されています。成分規格として乳脂肪分80.0%以上、水分17.0%以下、大腸菌群陰性であることが定められており、これを満たすものに「種類別:バター」の表示が認められています。

バターの基本的な栄養成分(有塩バター100gあたり)

食品成分表によれば、有塩バター100gあたりのエネルギーは約700kcal、脂質は81.0g、たんぱく質は0.6g、炭水化物は0.2gです。脂溶性ビタミンであるビタミンAが520μgと天然油脂の中でも高い含有量を示すほか、ビタミンD(0.6μg)やビタミンE(1.5mg)も含まれています。乳脂肪は食用油脂の中でも消化吸収率が95%以上と非常に高いのが特徴です。

バターの分類体系

バターは「製法」と「食塩の有無」という2つの軸で分類されます。製法による分類では「非発酵バター(甘性バター)」と「発酵バター」に分かれ、食塩の有無では「有塩バター(加塩バター)」と「食塩不使用バター」に分かれます。つまり、理論上は「非発酵・有塩」「非発酵・食塩不使用」「発酵・有塩」「発酵・食塩不使用」の4パターンが存在することになります。

非発酵バター(甘性バター)とは

日本で「バター」と言えば、一般的にはこの非発酵バターを指します。甘性バター(Sweet Cream Butter)とも呼ばれ、原料となるクリームを乳酸発酵させずに製造するタイプです。

製造工程は、まず生乳を遠心分離してクリームを取り出し、殺菌処理を施した後、低温でエージング(脂肪の結晶化を安定させる熟成工程)を行います。その後、チャーニング(攪拌)によってクリーム中の脂肪球同士をぶつけ合い、脂肪球皮膜たんぱく質(MFGM)を破壊して脂肪粒を凝集させます。こうしてできた大豆ほどの大きさのバター粒を水洗いし、練圧(ワーキング)して水分を調整しながら均一に練り上げることで完成します。

非発酵バターの味わいは、クセが少なくまろやかで、乳本来の甘みとコクを素直に感じられるのが特徴です。日本では明治時代以降に近代的な製造技術とともに輸入・普及したため、発酵させない甘性バターが主流として定着しました。

発酵バター(Cultured Butter)とは

定義と概要

発酵バターとは、原料となるクリームまたは完成したバターに乳酸菌を加え、乳酸発酵させて製造するバターです。英語では「Cultured Butter」あるいは「Fermented Butter」と呼ばれます。乳酸発酵によって生まれる独特の芳醇な香り、深いコク、そしてほのかな爽やかな酸味が最大の特徴です。

発酵バターの歴史

バターの歴史は古く、紀元前2000年ごろのインドの経典や旧約聖書にもバターらしき記述が見られます。ヨーロッパにおいても紀元前500年ごろにはすでにバターの製造が行われていたとされています。

注目すべきは、古来のヨーロッパでは冷蔵技術が未発達であったため、生乳からクリームを分離するまでの間に自然と乳酸発酵が進んでしまうことが一般的だったという点です。つまり、歴史的に見れば「発酵バター」こそがバターの原型であり、非発酵バターは冷蔵・殺菌技術の発達によって後から生まれた”新しいバター”であるともいえます。現在でもフランスをはじめとするヨーロッパ諸国では発酵バターが主流であり、バターといえば発酵バターを指すのが一般的です。

一方、日本にバターが本格的に普及したのは明治時代以降のことです。その頃にはすでに近代的な殺菌・冷蔵技術が確立されていたため、日本ではクセの少ない非発酵バター(甘性バター)がそのまま定着しました。

発酵バターの製法 — 「前発酵」と「後発酵」

発酵バターの製法には大きく分けて「前発酵」と「後発酵」の2つのアプローチがあります。

前発酵(クリーム発酵法)

前発酵は、殺菌処理を施したクリームに乳酸菌スターターを添加し、半日以上かけて乳酸発酵させてサワークリームの状態にした後、チャーニング(攪拌)してバター粒を作る方法です。ヨーロッパの伝統的な発酵バターの多くはこの前発酵法で製造されています。フランスのエシレバターや、日本のよつ葉発酵バターなどもこの製法を採用しています。前発酵法で作られた発酵バターは、発酵由来の香気成分がバター全体に均一に行き渡り、奥行きのある風味が得られるとされています。

後発酵(バター練り込み法)

後発酵は、まず通常の非発酵バターと同様にバター粒を作り、その後に乳酸菌で発酵させたミルク(発酵乳)をバター粒に練り込む方法です。雪印メグミルクの発酵バターなどがこの製法を採用しています。後発酵法は、品質の均一性を保ちやすく、大量生産にも向いているという利点があります。

いずれの製法でも、乳酸菌による発酵工程が加わることで、非発酵バターにはない香気成分や有機酸が生成され、発酵バター特有の風味が生まれます。

風味の違いを生む科学 — ジアセチルと香気成分

発酵バターの芳醇な香りの正体は、乳酸発酵の過程で乳酸菌が生成する「ジアセチル(diacetyl)」という香気成分です。ジアセチルはケトン(ジケトン)の一種で、乳酸菌がクエン酸を代謝する際に生じるアセト乳酸が分解されることによって発生します。バターやヨーグルト、チーズなど乳酸発酵製品に共通する、あの「乳製品らしい豊かな香り」の主要因となっている物質です。

非発酵バターにもミルク由来の香気成分は含まれていますが、乳酸発酵を経ていないためジアセチルの生成量は少なく、香りの印象としてはより穏やかでニュートラルなものになります。一方、発酵バターはジアセチルに加え、アセトインや各種有機酸など複数の香気成分が複合的に作用するため、「コクが深い」「香りが立つ」「爽やかな酸味がある」と表現される独特の風味プロファイルが形成されるのです。

なお、使用する乳酸菌の種類や発酵条件(温度・時間・酸度)によってもジアセチルの生成量は変化し、これがメーカーやブランドごとの風味の個性につながっています。

バターと発酵バターの違い — 比較まとめ

両者の主な違いを整理すると、以下の点に集約されます。

原料と製法について
非発酵バターは殺菌したクリームをそのまま攪拌して製造するのに対し、発酵バターはクリームまたはバターに乳酸菌を加えて発酵工程を経て製造します。原料の生乳自体は同じですが、乳酸発酵というひと手間が加わるかどうかが決定的な違いです。

風味と味わいについて
非発酵バターはクセが少なくまろやかで、乳本来の甘みが素直に感じられます。発酵バターは乳酸発酵由来のジアセチルなどの香気成分により、深いコク、芳醇な香り、ほのかな爽やかな酸味が加わり、より複雑で奥行きのある味わいとなります。

価格について
発酵バターは乳酸菌の添加と発酵工程が加わるため、非発酵バターに比べて製造コストが高くなります。一般的に、同容量で比較すると発酵バターの方が数割から倍程度高い価格帯で販売されています。特にフランス産のAOP認証発酵バターなどは、輸入コストも加わり高価格帯となります。

賞味期限と保存性について
発酵バターは非発酵バターに比べて鮮度が落ちるスピードが早い傾向があります。未開封の有塩バターの賞味期限がおおよそ6か月程度であるのに対し、発酵バターはおおよそ3か月程度とされることが多いです(商品やメーカーによって異なります)。開封後はいずれも早めに使い切ることが推奨されますが、発酵バターはとくに注意が必要です。

お菓子作りにおける使い分け

発酵バターが活きるお菓子

発酵バターの真価が最も発揮されるのは、バターの風味が主役となるシンプルな焼き菓子です。フィナンシェ、マドレーヌ、サブレ、ガレット・ブルトンヌなどはその代表格です。とくにフィナンシェでは発酵バターを加熱して作る焦がしバター(ブール・ノワゼット)を使用することで、発酵由来の独特の香りがさらに引き出され、格段に芳ばしく奥深い味わいに仕上がります。

クロワッサンやデニッシュなど、バターを折り込んで層を作るヴィエノワズリーにも発酵バターは非常に適しています。焼成時にオーブンの中で立ち上る香りから、仕上がった生地を口にした瞬間の余韻まで、発酵バターならではの華やかな香りが際立ちます。

また、パンに直接塗って食べる用途でも、発酵バターの豊かな風味はそのままダイレクトに楽しめるため、トーストとの相性は抜群です。

非発酵バターが適するお菓子

一方で、バター以外の素材の風味を主役にしたいお菓子には、クセの少ない非発酵バターの方が適しています。チョコレートの風味を前面に出したいガトーショコラや、フルーツの繊細な香りを生かしたいムース、カスタードの滑らかな味わいが主体となるシュークリームなど、バターの風味が他の素材を邪魔しないことが求められる場面では、非発酵バターが選ばれます。

また、スポンジケーキやシフォンケーキなど、軽やかな食感と素材のバランスが重要なお菓子にも、主張の少ない非発酵バターが向いています。

つまり「バターの香りを主役にするか、脇役に徹させるか」が使い分けの基本的な考え方です。

代表的な商品

国産の発酵バター

日本国内でも高品質な発酵バターが製造されています。よつ葉乳業の「よつ葉発酵バター」は北海道産の生乳を使用し、伝統的なチャーン製法と前発酵法で作られる本格的な発酵バターとして、製菓業界でも高い評価を受けています。カルピス社(アサヒ飲料)の「カルピス発酵バター(食塩不使用)」は、乳酸菌飲料「カルピス」の製造過程で得られる良質な乳脂肪を活用した製品で、プロのパティシエにも愛用者が多いことで知られています。雪印メグミルクの「雪印北海道バター 食塩不使用(発酵)」は後発酵法を採用しており、安定した品質と使いやすさが特徴です。

海外の発酵バター

フランス産の発酵バターとして世界的に有名なのが「エシレ(Échiré)バター」です。フランス中西部のエシレ村で120年以上にわたり伝統製法で作り続けられており、AOP(原産地呼称保護)認証を取得しています。木製の攪拌器(チャーン)を使って練り上げるクリーミーな口当たりと、華やかで上品な芳香が特徴です。同じくフランス産の「イズニー(Isigny)バター」もAOP認証の発酵バターとして高い評価を受けており、ノルマンディー地方の良質な牛乳から作られています。デンマークの「ルアパック(Lurpak)」も、ヨーロッパで広く親しまれている発酵バターのブランドです。

保存方法と取り扱いの注意点

バター全般に共通する保存の基本として、10℃以下の冷蔵保存が推奨されています。バターは脂質が主成分であるため、光・熱・空気(酸素)にさらされると酸化が進み、風味が劣化します。開封後は切り口をラップで密着させるか、密閉容器に入れて保存し、できるだけ早く使い切ることが望ましいです。

発酵バターは非発酵バターに比べて鮮度の劣化が早いため、特に開封後の取り扱いには注意が必要です。すぐに使い切れない場合は、小分けにカットしてラップで個包装し、ジッパー付き保存袋に入れて冷凍保存するのが有効です。冷凍保存すれば風味の劣化を抑えつつ長期保存が可能ですが、使用時は冷蔵庫でゆっくり解凍し、電子レンジなどでの急速な加熱解凍は避けるのがよいでしょう。

また、バターは匂い移りしやすい食品でもあるため、冷蔵庫内で匂いの強い食品の近くに置かないことも大切なポイントです。

まとめ

バターと発酵バターの違いは、端的に言えば「乳酸発酵させているかどうか」です。しかし、この一手間の有無が、風味・香り・コク・酸味・価格・保存性に至るまで、実に多くの違いを生み出しています。歴史的に見れば発酵バターこそがバターの原点であり、ヨーロッパでは今も主流の存在です。日本でも近年の発酵食品ブームや食の多様化を背景に、発酵バターへの注目が急速に高まっています。

お菓子作りにおいては、「バターの香りを主役にしたいか、脇役にしたいか」を基準に使い分けるのが実践的なポイントです。フィナンシェやサブレ、クロワッサンなどバターが前面に出るお菓子には発酵バターを、チョコレートやフルーツの風味を活かしたいお菓子には非発酵バターを選ぶことで、仕上がりの完成度は格段に変わります。

それぞれの特徴を正しく理解し、お菓子の種類や目指す味わいに応じて使い分けること。それが、ワンランク上のお菓子作りへの第一歩です。

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購入・ご利用の際は必ず最新のパッケージ表示または公式情報をご確認ください。特に食物アレルギーをお持ちの方は原材料を十分にご確認の上お求めください。
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