材料の名前
日本語では「スプレーオイル」または「スプレー式離型油(りけいゆ)」と呼ばれる。業界では単に「離型油スプレー」「オイルスプレー」と略されることも多い。英語では “Baking Spray” や “Cooking Spray”、”Pan Release Spray” が一般的な表現にあたる。フランス語圏では “Spray de démoulage”、ドイツ語圏では “Trennspray” という名称が使われている。いずれも「型から食品を離す(リリースする)ためのスプレー状の油」を意味しており、世界中の製菓・製パン現場で共通して使われる材料のひとつである。
特徴
スプレーオイルは、エアゾール缶やポンプ式容器に充填された食用の油脂製品で、焼き型や天板に薄く均一に油膜を張るために用いる。最大の特長は、バターやサラダ油をハケで塗る従来の方法と比べて、圧倒的に手軽で、しかも均一に塗布できる点にある。
基本的な成分構成は、ベースとなる植物性油脂(菜種油や大豆油など)に、レシチンなどの乳化剤と、ブタン・プロパンといった噴射剤(プロペラント)を加えたものだ。レシチンは大豆やヒマワリの種子から得られるリン脂質で、油と金属面のあいだに安定した膜をつくる役割を果たす。この膜が「くっつかない壁」として機能するため、一般的なサラダ油を塗っただけの場合に比べて格段に離型性が高くなる。
製品によっては小麦粉やワックス成分を配合し、複雑な凹凸を持つクグロフ型やマドレーヌ型でもきれいに離型できるよう工夫されたタイプもある。近年はアレルギー対応の需要が高まり、特定原材料等を含まない「ノーアレルギー」仕様の製品も増えてきた。大豆由来のレシチンをヒマワリ由来に置き換えたり、乳化剤そのものを不使用にしたりと、各メーカーがさまざまなアプローチで安全性と機能の両立を図っている。
耐熱性の面でも、専用の離型油スプレーは一般的なサラダ油より優れている。200℃を超える高温焼成でも焼き付きや炭化が起こりにくい設計になっているため、型の汚れが少なく、焼成後の洗浄作業を大幅に軽減できる。
使用量が少なくて済む点も見逃せない。メーカーの資料によれば、市販のサラダ油と比べて使用量は約10分の1で十分な効果が得られるとされており、コスト面でも油の酸化リスクの面でもメリットがある。
用途
スプレーオイルの主戦場は、なんといっても焼き菓子の型処理だ。マドレーヌ、フィナンシェ、パウンドケーキ、シフォンケーキ、クグロフ、カヌレなど、型に生地を流し入れて焼くタイプの焼き菓子すべてに活躍する。特に細かい溝や模様のある型では、ハケでバターを塗るだけではどうしても塗り残しが生じやすく、せっかくの美しいデザインが崩れてしまうことがある。スプレーであれば細かい部分まで霧状の油が行き渡るため、焼き上がりの美しさを損なわずに済む。
製パンの分野でも幅広く使われている。食パンのボックス型、ロールパンの天板、デニッシュのモルド(成型枠)など、パン生地が直接触れる面にスプレーして、焼き上がり後にスムーズに取り出せるようにする。大手の製パン工場では、自動グリーサー(塗油機)で離型油を塗布するケースが一般的だが、小規模なベーカリーや店舗のリテールベーキングではスプレー缶タイプの手軽さが重宝されている。
さらに、和菓子の分野でも離型油は活躍する。どら焼きの銅板焼きや、今川焼き(大判焼き)の型に薄く吹きかけることで、生地の付着を防ぎ、作業効率を上げることが可能だ。
お菓子以外にも、フライパンやホットプレートへの薄い油膜づくり、たこ焼き器のプレートへの塗布、オーブン料理の耐熱容器やクッキングシートへのスプレーなど、家庭の調理シーンでも利用の幅は広い。
近年では、チョコレートのモールド(型)に離型スプレーを使う専門的な用途も注目されている。カカオバターをベースにしたスプレータイプの離型剤は、型からチョコレートをきれいに取り出すだけでなく、表面に美しいツヤを与える効果もある。
主な原産国と原料の産地
スプレーオイルの主原料となる植物性油脂は、菜種油(キャノーラ油)と大豆油が代表的だ。菜種の主要生産国はカナダが圧倒的で、世界の生産量の約4分の1を占める。次いでEU諸国、中国、インドが続き、南半球ではオーストラリアが主要な産地となっている。日本国内で使われる菜種油の原料は、そのほとんどをカナダとオーストラリアからの輸入に依存している。
大豆油の場合は、アメリカ、ブラジル、アルゼンチンが世界三大生産国となる。
離型油スプレーの製品そのものの生産国としては、日本国内では株式会社ローリング(東京都中央区/長野県千曲市)、昭和化工株式会社(大阪市)、横浜油脂工業株式会社(横浜市)などが代表的なメーカーだ。海外では、オランダのゼーランディア(Zeelandia)社が製造する「カーレックス・スプレー(Carlex Spray)」が世界的に流通している。アメリカではコナグラ・フーズ(Conagra Foods)の「PAM」や、PLZ Corp.が展開する「Vegalene」が業務用・家庭用の両方で高いシェアを持つ。
選び方とポイント
スプレーオイルを選ぶ際に、まず確認したいのはベースとなる油の種類だ。菜種油ベースは風味にクセがなく、焼き菓子全般に使いやすい。一方、オリーブオイルベースの製品は独特の風味を活かした料理向きで、甘いお菓子の型処理にはやや不向きな場合がある。用途に応じて使い分けるとよい。
次に気を付けたいのが、アレルギー物質の有無である。従来のスプレー式離型油の多くは大豆由来のレシチンを乳化剤として使用しており、大豆アレルギーを持つ方への配慮が必要だった。現在は、ヒマワリ由来のレシチンを採用した「ノーアレルギー」タイプや、乳化剤そのものを配合しない無添加タイプなど、選択肢が豊富になっている。アレルギー対応が求められる現場や、特定原材料等の表示を避けたい場合は、成分表示を入念にチェックしよう。
噴霧の粒子の細かさも、仕上がりを左右する要素だ。粒子が細かいほど薄く均一に塗布でき、余分な油が生地に移りにくい。製菓専用に設計されたスプレーは、一般的なクッキングスプレーと比べて微細なミストを出すよう噴射弁が調整されていることが多い。初めて使う場合は、製菓材料専門店で扱われている業務用グレードの製品を試してみることをすすめる。
保管方法についても触れておきたい。エアゾール缶タイプは直射日光や高温(40℃以上)を避けて常温の暗所に保管するのが鉄則だ。火気の近くに置くのは厳禁で、使い終わった缶を処分する際は中身を使い切ってから各自治体のルールに従って廃棄する必要がある。
コスト面では、業務用の大容量缶(500~600ml前後)のほうが1mlあたりの単価は安くなる。家庭で使う頻度がそれほど高くない場合でも、離型油スプレーの賞味期限は製造から2~3年と比較的長い製品が多いため、大容量を購入しても十分使い切れるケースが多い。
メジャーな製品とメーカー名
日本国内で入手しやすい主要製品と、その製造元をまとめて紹介する。
まず、株式会社ローリング(東京)が展開する「ベーカーズセパレ」シリーズ。同社は日本における食品用離型油のパイオニアで、1996年にスプレー式離型油「ベーカーズセパレ」を発売した。2002年には特定原材料等を使用しない「Non Allergyベーカーズセパレ」を発売し、アレルギー対応のスプレー離型油をいち早く市場に投入している。富澤商店(TOMIZ)のオンラインショップなどで一般消費者でも購入できるため、家庭の製菓愛好家にもなじみ深い。成分は菜種油にレシチン、噴射剤としてブタン・プロパンを使用している。
次に、昭和化工株式会社(大阪市)の「ZERO」。アレルギー物質(特定原材料等)を使用しない処方で知られ、製菓材料通販サイトcottaなどでも取り扱いがある。容量は500mlで、パンの食型からマドレーヌ型まで幅広く対応する。乳化剤を使わないタイプの製品もラインナップしている。同社は製パン用離型油も豊富に展開しており、大手製パン工場からの支持も厚い。
横浜油脂工業株式会社(横浜市)は、「グッドベーカー(Good Baker)」シリーズや「Natural Baker」などのエアゾール式離型油を展開している。「Natural Baker」は原材料に米油のみを使用し、特定原材料等28品目および遺伝子組換え原料を不使用としたこだわりの製品だ。業務用のパン向け離型油で長い歴史を持ち、工場ラインへの導入実績が豊富なメーカーでもある。
海外メーカーでは、オランダのゼーランディア(Royal Zeelandia Group)社が製造する「カーレックス・スプレー(Carlex Spray)」が日本でも広く流通している。国内ではパシフィック洋行が輸入販売を手がけており、600ml缶がプロのパティシエや製パン職人に愛用されている。剥離性能の高さと焼き付き汚れの少なさが評価され、製菓の専門学校でも教材として採用されている例がある。
アメリカのPAM(コナグラ・フーズ)は、1959年に誕生した世界初の家庭用クッキングスプレーとして知られ、ベーキング用(小麦粉入り)やバター風味など多彩なラインナップを持つ。日本国内での一般流通は限定的だが、輸入食材店やオンラインショップ経由で購入できる。
業務用では、Vegalene(PLZ Corp./アメリカ)もレストランやベーカリーで高い支持を得ている。アレルゲンフリー仕様の製品も展開しており、大豆やグルテンを含まないクッキングスプレーとして北米の商業ベーカリーを中心に利用されている。
歴史・由来
離型油という発想そのものは、パンや菓子を型に入れて焼くという調理法が確立された時代まで遡れる。古くは、型にラード(豚脂)やバターを塗って生地の付着を防ぐのが一般的な方法だった。
日本における離型油の歴史は、1950年(昭和25年)に飯森幸雄氏が飴菓子用の固着防止剤としての離型油を開発したことに端を発する。1953年に製法特許を取得して「ローリングオイル」の名で発売し、後に株式会社ローリングを設立した。これが日本における食品用離型油の専門メーカーの先駆けとなった。同社はその後、製パン用や洋菓子用の離型油を次々と開発し、1986年にはスプレー式調理油「セパレ」シリーズを発売。1996年にはスプレー式離型油「ベーカーズセパレ」を製品化し、スプレー缶による離型油の時代を切り拓いた。
一方、海外に目を向けると、アメリカで1959年にレオン・ルービン(Leon Rubin)と広告業のアーサー・メイヤーホフ(Arthur Meyerhoff)がPAM Products, Inc.を設立し、世界初の家庭用クッキングスプレー「PAM」を発売したのが画期をなす出来事だった。「PAM」という名前は “Product of Arthur Meyerhoff” の頭文字に由来する。発売当初は売上が伸び悩んだものの、1960年代に入ると「ヘルシーで手軽な調理法」としてアメリカの家庭に浸透していった。1992年にはキャノーラ油(菜種油の一種)に処方を変更し、飽和脂肪酸を低減。その後コナグラ・フーズの傘下に入り、現在に至るまで北米市場のクッキングスプレーを代表するブランドであり続けている。
オランダのゼーランディア社は1900年にドールマン(Doeleman)家によって創業された製パン材料メーカーで、オランダ唯一のロイヤル(王室御用達)の称号を持つ企業として知られる。同社の離型油「カーレックス」シリーズは、業務用ベーキング材料の一環として開発され、スプレー缶に充填した「カーレックス・スプレー」は世界各国のベーカリーやパティスリーに供給されている。
エアゾール技術そのものの歴史に触れておくと、加圧容器から液体を噴霧するエアゾールの原理は第二次世界大戦中に殺虫剤の噴霧技術として軍事利用されたのが始まりで、戦後に民生品へと転用が進んだ。食品分野でこの技術が応用されるようになったのは1950年代後半以降のことで、PAMの登場がまさにその転換点だったといえる。
日本でスプレー式離型油が広く普及し始めたのは1990年代に入ってからだ。それまでは液体の離型油をハケやモップで塗布する方法が主流であり、スプレー缶タイプは「便利だがコストが高い」という印象があった。しかし、衛生管理意識の高まりとともに、ハケやモップからの異物混入リスクを回避できるスプレー式のメリットが再評価され、製パン・製菓業界で急速に採用が広がった。2000年代以降はアレルギー対策への関心が高まり、ノーアレルギー仕様の製品が続々と登場している。
現在では、環境配慮型の噴射剤や、より微細なミストを生み出すバルブ技術の進化など、スプレーオイルを取り巻く技術革新は続いている。食品スプレーの分野でも、従来のエアゾール缶とは異なるBOV(Bag on Valve)方式――缶内にバッグを設けてガスと液体を分離する構造――が注目されつつあり、液ダレの防止や最後まで均一に噴霧できるといった利点から、今後の普及が期待されている。
