材料の名前

日本語では「寒天(かんてん)」と呼ばれる。英語圏では agar(エイガー)、あるいは agar-agar(アガーアガー)の名で通っている。この agar-agar という語はマレー語に由来し、もとは紅藻類そのものを指す言葉だった。19世紀に中国系移民が日本産の寒天を東南アジアへ持ち込んだ際、現地のマレー語で「ゼリー」を意味する agar の名が定着し、英語にも借用された。フランス語では gélose(ジェロース)と呼ばれることがあり、中国語では「洋菜(ヤンツァイ)」や「瓊脂(チョンジー)」の名称が使われる場合がある。韓国語では「한천(ハンチョン)」と表記し、日本語の音読みがそのまま伝わった形だ。

特徴

寒天は、テングサ(天草)やオゴノリといった紅藻類の粘液質から抽出される多糖類を凍結・乾燥させた食品素材である。主成分はアガロースとアガロペクチンという二種類の多糖類で、このうちゲル化に大きく関わるのがアガロースのほうだ。

お菓子づくりの現場で寒天が重宝される理由は、その独特な物理的性質にある。寒天は水に溶かして加熱し、沸騰させてから冷ますと、およそ40〜50℃で固まり始める。いったんゲル化した寒天は85〜90℃以上にならないと再び溶けない。つまり、固まる温度と溶ける温度に大きな差がある「熱可逆性」をもつ。この性質のおかげで、真夏の常温環境でも形が崩れにくい。持ち帰り菓子や屋外での催事販売に向いている理由はここにある。

一方、ゼラチンは20〜30℃前後で溶けるため、室温に長く置くと形を保てない。この差が、ゼラチンと寒天の最大の使い分けポイントとなる。

食感面では、寒天で固めたゼリーは歯切れが良く、ほろりと崩れるような独特の口あたりを示す。弾力があってプルンとしたゼラチンゼリーとは対照的だ。透明感も高く、和菓子の涼しげな見た目を演出するにはうってつけの素材といえる。

また、乾燥寒天100gあたりに含まれる食物繊維はおよそ74〜80gと非常に豊富で、カロリーはごく低い。ノンカロリーの凝固剤として健康志向のお菓子にも広く用いられている。動物由来のゼラチンと異なり完全な植物性素材なので、ベジタリアンやヴィーガンの食事にも対応できる点は見逃せない。

寒天にはもうひとつ「離水」という性質がある。これはゲル内部の水分が時間経過とともに表面に染み出す現象で、寒天ゼリーの表面に水滴がつくのはこのためだ。和菓子の水ようかんや錦玉羹をつくるとき、離水を計算に入れて砂糖の量や寒天の濃度を調整するのが職人の腕の見せどころとなる。砂糖を加えるとゲルの強度と透明度が増し、離水も抑えられるため、和菓子の配合には理にかなった知恵が詰まっている。

用途

寒天はお菓子の世界において、和菓子から洋菓子まで幅広い場面で活躍する。

和菓子での代表的な用途として真っ先に挙がるのが、練りようかん・水ようかんだ。小豆のあんこと砂糖を寒天液で固めるこのお菓子は、寒天なくしては成り立たない。ほかにも、透明な寒天ゼリーに季節のモチーフを閉じ込めた錦玉羹(きんぎょくかん)、果物や花びらをあしらった琥珀糖(こはくとう)など、寒天は和菓子の美しさを支える縁の下の力持ちだ。みつ豆やあんみつに入っている半透明の角切りも、寒天を固めて切り分けたものである。

洋菓子や近年のスイーツの領域でも、寒天の出番は増えている。フルーツゼリーやプリンの固形化、ムースの土台となるグラサージュ(光沢仕上げ)の素材として使われることがある。また、ヨーグルトやジャムの安定剤として工業的に添加されるケースも多い。最近では、寒天を使ったグミ風のお菓子やダイエットスイーツの商品開発も盛んだ。

お菓子以外の分野では、茶碗蒸しの安定化、介護食のとろみ付け、化粧品の増粘剤、さらには科学研究の寒天培地など、驚くほど幅広い用途をもつ。1881年にドイツのロベルト・コッホが細菌培養用の寒天培地を導入して以来、医学・生物学の分野でも不可欠な素材となった歴史は、寒天の汎用性の高さを物語っている。

主な原産国・産地

寒天の原料となる海藻の産地と、寒天そのものの製造地は区別して理解する必要がある。

原料のテングサは、日本では伊豆半島・伊豆諸島、房総半島、紀伊半島、四国・九州沿岸などが主要な採取地として知られてきた。天然のテングサは養殖が難しく、漁業者が海に潜って手で採取するため、年々生産者の高齢化と減少が進んでいる。一方、オゴノリは養殖が可能で、韓国、インドネシア、チリ、ブラジル、モロッコなどが主要な生産国となっている。

寒天の製造地に目を移すと、日本国内では長野県の諏訪地方(茅野市周辺)と岐阜県恵那市(旧山岡町)が天然寒天の二大産地だ。冬場の厳しい寒さと昼夜の寒暖差、晴天率の高さという条件がそろった内陸部の気候が、屋外での凍結・乾燥工程に適しているためである。

海外では、モロッコ、ポルトガル、スペイン、チリ、アルゼンチンなどで工業的な寒天製造が行われている。日本国内の流通量を見ると、2000年以降は工業的に製造された輸入品が国産品を上回る状況が続いている。

寒天の種類と選び方のポイント

市販されている寒天は、形状や製法によって大きく三つの種類に分かれる。それぞれに性質が異なるため、つくりたいお菓子に合わせて選ぶことが大切だ。

まず、角寒天(棒寒天)。テングサを主原料とし、冬の屋外で自然凍結と自然乾燥を繰り返してつくる伝統的な製法の寒天である。1本あたり約8gで、使う前に水に浸してふやかす工程が必要になる。やわらかく、ふんわりとした食感に仕上がるため、杏仁豆腐や牛乳かんなどに向く。ただし天候に左右される天然製法のため、製品ごとの凝固力にばらつきが出やすい点は留意しておきたい。

次に、糸寒天(細寒天)。棒寒天と同じ天然製法だが、形状が細い糸状になっている。主に和菓子の業務用として流通しており、滑らかな口あたりと高い透明度が特長だ。錦玉羹のように透き通った仕上がりを求める場面で重宝する。水戻し後に煮溶かして使う点は角寒天と同様である。

そして、粉寒天(粉末寒天)。オゴノリを主原料に、工業的な製法でつくられるものが大半を占める。水に振り入れて加熱するだけで溶けるため、事前にふやかす手間が不要で扱いやすい。凝固力は天然寒天より強く、角寒天1本(約8g)に対して粉寒天4gが目安の換算量とされる。計量がしやすく、品質も安定しているので、家庭でのお菓子づくりや日常使いに適している。

選ぶ際のポイントをまとめると、手軽さと安定した仕上がりを重視するなら粉寒天、繊細な口あたりや伝統的な風味を求めるなら糸寒天や角寒天が向いている。購入時には、原料の海藻の産地や無漂白かどうかを確認するのもよいだろう。保存は直射日光と湿気を避ければ常温で長期間もつが、虫害を防ぐために密閉容器に入れておくのが望ましい。

メジャーな製品とメーカー名

寒天業界を代表する企業として、まず名前が挙がるのが伊那食品工業株式会社(長野県伊那市)だ。業務用粉末寒天のトップメーカーであり、家庭用ブランド「かんてんぱぱ」は広く知られている。「かんてんクック」は粉末タイプの家庭用寒天として1964年に発売され、長年にわたり台所の定番となってきた。「カップゼリー80℃」シリーズなど、寒天を使った手作りデザートの素も人気が高い。

天然寒天の分野では、松木寒天産業株式会社(長野県茅野市)が有力メーカーのひとつだ。諏訪地方の伝統製法を受け継いだ角寒天や糸寒天を製造しており、「そのまんま寒天」シリーズなど、手軽に食べられる形態の商品も展開している。

同じく長野県に拠点を置く北原産業株式会社が運営する「寒天本舗」は、通販を中心に粉寒天や糸寒天を幅広く販売している。品質別に複数のグレードの粉寒天をそろえている点が特徴で、お菓子づくりの目的に応じた選択がしやすい。

岐阜県恵那市には株式会社マツキがあり、天然の角寒天を製造・直売している。細寒天の産地として名高い山岡地区に位置し、国産天然寒天にこだわった製品を展開している。

また、テングサの専門商社として歴史のある株式会社森田商店(愛知県)は、国内外のテングサを取り扱い、糸寒天の製造・販売も手がけている。原料から最終製品までの一貫した品質管理に定評がある。

歴史・由来

寒天の歴史をたどるには、その前身である「ところてん」から話を始めなければならない。ところてんは、テングサを煮溶かして冷やし固めた食品で、奈良時代にはすでに食されていた記録がある。733年成立の『出雲国風土記』にテングサに関する記述が見られることから、日本における海藻利用の歴史は1200年以上に及ぶ。

ところてんから寒天への転換が起きたのは、江戸時代前期のことだ。京都・伏見で旅館「美濃屋」を営んでいた美濃太郎左衛門が、冬にところてんを戸外に放置してしまったところ、夜間の凍結と日中の融解が繰り返される中で水分が抜け、乾物のような状態に変わった。この偶然の産物を煮溶かしてみると、海藻の臭みが消え、もとのところてんよりも透明度の高い美しい食品ができあがった。これが寒天の原型とされている。時期については諸説あるが、1657年(明暦3年)前後と推定する研究が有力だ。ただし、1651年(慶安4年)の虎屋の記録に「氷ところてん」という記述があることから、起源はさらに遡る可能性も指摘されている。

「寒天」という名称は、中国から渡来し京都・宇治に黄檗宗を開いた隠元隆琦禅師(1592〜1673年)が名付けたと伝わる。まだ名前のなかったこの新しい食品を試食した隠元は、精進料理に最適だと称賛し、中国語で「冬の空」を意味する漢語「寒天」に、「寒ざらしのところてん」という製法の意味を込めて命名したとされる。

その後、寒天の製造技術は京都周辺から摂津国(現在の大阪府北部)へ広がり、宮田半兵衛という人物が製法を改良して普及に貢献した。1798年(寛政10年)には摂津の18か村による「北摂三郡寒天株仲間」が結成され、農閑期の副業として寒天づくりが組織的に行われるようになった。

寒天製造が信州へ渡ったのは幕末期である。1841〜1842年(天保12〜13年)頃、諏訪郡穴山村(現・長野県茅野市)の行商人、小林粂左衛門が丹波地方で寒天の製造法を学び、気候条件に恵まれた諏訪地方に持ち帰った。冬の寒さが厳しく、昼夜の寒暖差が大きく、降雪が少ないという信州の内陸性気候は、寒天の凍結乾燥に理想的だった。1905年(明治38年)に中央本線が開通すると、原料の輸送コストが大幅に下がり、信州は一気に日本最大の寒天産地へと成長していく。

明治時代に入ると、寒天は海外でも注目を集めるようになる。1881年、ドイツの細菌学者ロベルト・コッホの研究室に所属していたウォルター・ヘッセの妻ファニー・ヘッセが、細菌培養にゼラチンではなく寒天を使うことを提案した。ゼラチン培地は37℃の恒温培養器で溶けてしまう欠点があったが、寒天培地はその温度では溶けない。この発想の転換が細菌学を飛躍的に前進させ、1882年にコッホが発表した結核菌に関する論文の中でも寒天培地が言及されている。

医学研究に不可欠な素材となった寒天は、戦前の日本にとって重要な輸出品でもあった。しかし第二次世界大戦中、日本政府は寒天を戦略物資として輸出禁止にした。寒天の供給を絶たれた欧米諸国は、自力で寒天を製造する方法を模索し、その結果として工業的な粉末寒天の製法が確立された。戦後はこの技術が日本にも逆輸入される形で普及し、1970年頃には国内の粉末寒天製造会社が35社にまで増えた。ただし、その後は安価な輸入品との競争が激しくなり、2004年頃には5社程度にまで減少している。

こうした波乱に富んだ歴史をもつ寒天だが、和菓子の世界においてはいまなお欠かすことのできない基本素材であり続けている。京都の旅館の軒先で生まれた偶然の産物が、400年近い歳月を経て、世界中の食品産業や科学研究を支える存在になった。その歩みを知ると、ひと切れの水ようかんにも奥深い物語が宿っていることに気づかされる。

免責事項

商品紹介等については、公式サイトおよび公開情報を基に作成しております。
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購入・ご利用の際は必ず最新のパッケージ表示または公式情報をご確認ください。特に食物アレルギーをお持ちの方は原材料を十分にご確認の上お求めください。
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