材料の名前

和菓子づくりに欠かせない素材のひとつに「求肥(ぎゅうひ)」がある。漢字では「牛皮」「牛肥」と表記されることもあり、いずれも読みは同じ「ぎゅうひ」だ。英語圏では “Gyūhi” とローマ字表記されるのが一般的で、海外の和菓子レシピサイトや菓子辞典でも “Gyūhi” の名称がそのまま使われている。意味を補足する際には “soft mochi” や “Japanese soft rice cake” と説明されることが多い。中国語では原型とされる菓子の名前から「牛皮糖」に近い表現が用いられる場合がある。

求肥は完成品としての菓子名でもあるが、実際には和菓子の「原材料・素材」として使われる場面のほうがはるかに多い。大福の皮、練り切りのつなぎ、あんみつのトッピングなど、裏方として幅広い菓子を支えている。

特徴

求肥の最大の持ち味は、時間が経っても硬くなりにくい、しなやかな柔らかさにある。通常の餅はもち米を蒸してから搗(つ)いて粘りを出すため、冷めると次第に硬くなる。一方、求肥はもち米を粉にした白玉粉や餅粉に、砂糖・水飴といった糖分と水を加え、加熱しながら練り上げて仕上げる。生地粉に対して砂糖を2倍量、水飴を同量ほど配合するレシピが多く、この大量の糖分が持つ保水力のおかげで、製造後かなりの時間が過ぎても柔らかさが保たれる。

食感はもっちりとしつつも歯切れがよく、口の中でとろけるようなやさしい弾力を感じられる。砂糖と水飴の甘みが生地自体にしっかり含まれているため、餡や果物と組み合わせたときにも全体の味わいをまとめる役割を果たす。色は純白が基本だが、抹茶やよもぎ、食紅などを練り込むことで緑や桃色に仕上げることもでき、見た目の自在さも和菓子職人にとって大きな魅力となっている。

餅との違いを端的にまとめると、餅は「搗く」ことで粘りを出し、求肥は「練る+糖分」で粘りと柔らかさを引き出す。この製法上の違いが、日持ちのしやすさと常温・低温での食べやすさという機能的な差につながっている。

主な製法

求肥の製法は大きく三つに分けられる。

一つ目は「水練り」と呼ばれる方法で、白玉粉や餅粉に水を加えて柔らかく練り、そこに砂糖や水飴を投入してから加熱しながらさらに練り上げる。家庭で電子レンジを使って作る場合もこの応用にあたり、手軽に挑戦しやすい。

二つ目は「茹で練り」で、粉を練った生地を一度茹でてから砂糖などを加えて練り直す方法だ。茹でる工程を挟むことで、生地のきめが整いやすくなる。

三つ目は「蒸し練り」で、練った生地を蒸してから砂糖類を加えて練る。水練りに比べて日持ちしやすいとされ、業務用の現場でも採用されることがある。

いずれの製法でも、仕上がりの食感を左右するのは砂糖と水飴の配合量、そして練りの加減だ。練りが足りないとコシのない生地になり、逆に練りすぎると弾力が強くなりすぎて口当たりが損なわれる。職人の経験と感覚が問われる工程であり、同じレシピでも作り手によって食感に差が出る。

用途

求肥の用途は驚くほど幅広い。和菓子の世界では、以下のような形で活躍している。

求肥そのものを菓子として味わうものの代表格が、福井銘菓として知られる「羽二重餅」だ。求肥の柔らかさと繊細さをそのまま楽しむ、いわば求肥の真骨頂といえる菓子である。

餡を求肥で包む使い方も定番で、鶯餅や菱葩餅(はなびらもち)といった茶席の菓子にも欠かせない。求肥の生地が柔らかいぶん、中に入れる餡も柔らかめに練る工夫がなされることが多い。逆に、求肥を餡で包んだ熊本銘菓「誉の陣太鼓」のような菓子もある。

水飴を求肥で固めたタイプの菓子には、熊本の「朝鮮飴」、鹿児島の「ボンタンアメ」「兵六餅」などがあり、もちもちした食感と素朴な甘さで全国にファンを持つ。

近年とりわけ存在感を増しているのが、洋風スイーツとの組み合わせだ。アイスクリームを求肥で包んだ「餅アイス」の分野では、ロッテの「雪見だいふく」が1981年の発売以来ロングセラーを続けている。低温でも硬くなりにくい求肥の性質が、冷凍デザートとの相性を見事に生かした好例である。また、クレープ生地の代わりに薄く伸ばした求肥シートでフルーツや生クリームを巻く「求肥クレープ」は、パティスリーやコンビニスイーツでも見かける機会が増えた。

甘味処のあんみつやみつまめに添えられる、一口大にカットされた求肥も馴染み深い。赤や緑に色づけされた小さな求肥が、器の中で彩りのアクセントになっている。

さらに、練り切りを作る際のつなぎとしても求肥は使われる。白餡に少量の求肥を加えて練ることで、成形しやすく、しっとりとした食感の練り切り生地が出来上がる。主役としてだけでなく、縁の下の力持ちとしても求肥は和菓子の世界に根を張っている。

主な原材料の産地

求肥の主原料であるもち米は、日本国内では北海道が圧倒的な生産量を誇る。北海道産のもち米は全国シェアのトップに位置し、「はくちょうもち」「きたゆきもち」などの品種が広大な耕地で栽培されている。このほか佐賀県、新潟県、岩手県、宮城県なども主要な産地として挙げられ、これら上位の道県だけで全国の主食用もち米集荷量の大部分を占める。九州の佐賀・熊本では「ヒヨクモチ」が代表品種として知られ、ボンタンアメや兵六餅の原料にも使われてきた。

砂糖については国内産のてんさい糖(北海道)やさとうきび由来の砂糖(沖縄・鹿児島)のほか、輸入原料も広く流通している。水飴は国産のとうもろこしや芋のでんぷんから作られるものが一般的だ。

なお、求肥そのものは日本独自の加工品であり、ルーツとされる中国の「牛皮糖」とは製法・原料ともに異なる。原材料の産地という観点では、もち米の品質が求肥の仕上がりに直結するため、国産もち米にこだわるメーカーや和菓子店は少なくない。

選び方とポイント

家庭で求肥を手作りする場合、原料となる粉の選択が仕上がりを左右する。白玉粉と餅粉はどちらも、もち米を原料としているが、製法に違いがある。白玉粉は水にさらしたもち米を挽いて沈殿させ、乾燥させたもので、粒子が非常に細かい。そのため白玉粉で作った求肥は表面がなめらかで、つるりとした舌触りになる。一方、餅粉はもち米を洗って脱水し、そのまま粉砕したもので、米本来の風味がやや強く残る。初めて求肥を作るなら、ダマになりにくく扱いやすい白玉粉のほうが失敗しにくい。

砂糖は上白糖やグラニュー糖が一般的に使われる。水飴を加えることで冷めた後も柔らかさが長持ちするため、省略しないほうがよい。水飴の代わりにコーンシロップを使う方法もあるが、仕上がりの風味は多少異なる。

市販の求肥製品(業務用の求肥シートやカット済み求肥など)を購入する際は、原材料表示を確認し、もち米(または白玉粉・餅粉)が主原料であることをチェックしたい。増粘剤や加工でんぷんが多く配合されたものは、食感や風味が本来の求肥と異なる場合がある。冷凍品の場合は自然解凍で柔らかさが戻るため、使い勝手がよい。

メジャーな製品とメーカー名

求肥を使った菓子は全国各地に存在するが、特に広く知られている製品をいくつか紹介する。

羽二重餅は、福井県を代表する銘菓で、求肥そのものの繊細さを味わう菓子だ。明治30年(1897年)創業の「羽二重餅總本舗 松岡軒」が元祖を謳っており、福井特産の絹織物「羽二重」の白さとなめらかさを和菓子で表現したことが始まりとされる。

岡山名物の「きびだんご(吉備団子)」も求肥の技法を応用した菓子である。安政3年(1856年)創業の「廣榮堂」が、もともとあった黍団子を茶席にも向く求肥製に改良したことで、現在の形が確立された。

鹿児島の「ボンタンアメ」と「兵六餅」は、セイカ食品が製造する求肥飴の代表格だ。九州産のもち米「ヒヨクモチ」を自社工場で精米・製粉し、水飴や砂糖を加えて練り上げる。オブラートに包まれた一口サイズの飴は、昭和の時代から親しまれている駄菓子の定番でもある。

熊本の「朝鮮飴」は、天正年間(1573〜1592年)に創業した「老舗 園田屋」が400年以上にわたり一家相伝の製法を守り続けている。もち米・水飴・砂糖だけで作られる素朴な求肥菓子で、もちもちとした食感と上品な甘さが特徴だ。

ロッテの「雪見だいふく」は、1981年の発売以来、冬のアイスクリーム市場を切り開いたロングセラー商品である。バニラアイスを薄い求肥で包むという発想は当時としては画期的で、低温でも柔らかい求肥の特性を最大限に活かした製品といえる。

業務用分野では、横浜市に本社を置く「株式会社タヌマ」が、求肥クレープシートやカット済み求肥など多彩な製品を全国の製菓・外食業者に供給している。国産白玉粉を丹念に練り上げた製品は、あんみつやパフェのトッピング、洋菓子の素材として幅広く使われている。

歴史・由来

求肥の歴史は古く、平安時代に中国から日本に伝わったとされる。中国には祭祀の際に捧げる「牛脾糖(ぎゅうひとう)」という菓子があり、砂糖にでんぷんを加えて煮固めたこの菓子が求肥の原型と考えられている。また、中国で類似の飴菓子を「牛皮糖」と呼んでいたことから、日本に渡った当初も「牛皮(ぎゅうひ)」と表記されていた。

当時の求肥はもち米の玄米や黒砂糖を用いて作られていたため、仕上がりの色が浅黒く、その見た目が牛の皮に似ていたという説がある。また、牛のなめし皮のように白く柔らかいことからその名がついたとする別の説もあり、名前の由来には諸説が並び立つ。

表記が「牛皮」から「求肥」に変わった背景には、日本の食文化における肉食忌避の歴史が関わっている。江戸時代に編纂された百科事典『和漢三才図会』には、「わが国ではかつて畜肉を食べずに忌む。それで字も求肥と換えている」という趣旨の記述が残されている。また『日本大百科全書』(小学館)にも、「牛皮と呼ばれたが、その文字を忌み、求肥の文字に変えられた」との記載がある。帝の命によって表記を改めたという言い伝えもあり、肉食を禁じていた時代の空気が、菓子の名前にまで影響を及ぼしたことがうかがえる。

室町時代には京都で求肥の製造が盛んになり、茶の湯の発展とともに茶席菓子としての地位を確立していった。安土桃山時代になると、豊臣秀長が兄・秀吉を招いた茶会で、求肥を用いた餅菓子が献上されたという記録が残る。秀吉がこの菓子をたいそう気に入り、鶯に似た見た目から「鶯餅」と名づけたとされるエピソードは、求肥菓子の歴史を語るうえで欠かせない逸話だ。この菓子を作ったのは大和郡山の菓子職人・菊屋治兵衛であり、現在も奈良県で「御城之口餅」として販売が続いている。

江戸時代に入ると、京都から江戸へ求肥の技法が伝わり、全国各地で独自の求肥菓子が生まれた。寛永年間のころに京都の求肥飴職人が江戸に招かれたとする記録もあり、この時期に各地の和菓子文化と結びつきながら発展を遂げたことがわかる。九州の朝鮮飴もこの時代にすでに存在しており、加藤清正が朝鮮出兵の際に携行食として持参したことからその名がついたと伝えられている。

明治以降は精製された白砂糖の普及により、求肥の色は現在のような純白に近づいた。製粉技術の向上とともに白玉粉の品質も安定し、より繊細でなめらかな食感の求肥が作れるようになった。昭和に入ると、大量生産技術の発達により求肥を使った菓子の種類はさらに広がり、1981年の「雪見だいふく」の登場は、求肥を冷凍デザインの素材として活用する新たな道を開いた。

現在では、和菓子の枠を超えてパンやケーキ、アイスクリームなど洋風のスイーツにも求肥が取り入れられるようになった。もちもちした食感への注目は海外でも高まっており、”mochi” ブームに乗る形で求肥を使ったスイーツが欧米やアジアの菓子市場にも浸透しつつある。千年以上の歴史を持つこの素材が、時代や国境を越えて愛され続けているのは、そのしなやかな食感と、どんな素材とも調和する懐の深さゆえだろう。

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