材料の名前
日本語では「マロングラッセ」と表記し、そのままカタカナで定着している。フランス語の正式な綴りは「marron glacé(マロン・グラッセ)」で、複数形は「marrons glacés」となる。英語圏でもフランス語をそのまま借用して”marron glacé”と呼ぶのが一般的だ。イタリア語では「marrone candito(マッローネ・カンディート)」あるいは「marron glacé」がそのまま使われる場面も多い。また、トルコには「kestane şekeri(ケスターネ・シェケリ)」と呼ばれる類似のお菓子があり、こちらはアルコール類を一切使わない点で区別される。
「マロン(marron)」はフランス語でヨーロッパグリ(学名:Castanea sativa)のうち、大粒で渋皮がはがれやすい上質な品種を指す言葉である。「グラッセ(glacé)」は氷のようなつやを出す調理法のことで、砂糖のシロップを表面にまとわせて光沢を与える技法を意味する。つまりマロングラッセとは、文字通り「つやをまとった栗」という名のお菓子だ。
特徴
マロングラッセは、殻と渋皮を丁寧にむいた栗の実を、時間をかけて砂糖のシロップに漬け込み、仕上げに糖衣をほどこして艶やかに整えた砂糖菓子である。「お菓子の宝石」とも称される美しい外観が大きな魅力となっている。
製造工程は手間のかかるものだ。殻をむいた栗をまず糖度20度ほどのシロップで煮はじめ、2日おきに少しずつ糖度を上げていく。最終的に糖度を32度前後まで高めた後、30度に落として仕上げるという工程を経るため、完成までに1週間から10日ほどを要する。工程の途中で栗が割れてしまうことも多く、丸い形を保ったまま完成にたどり着く個体は限られる。そうした歩留まりの悪さが、マロングラッセの価格を押し上げる要因のひとつだ。
口に含むとほろりと崩れるやわらかな食感と、栗そのものの風味に砂糖の上品な甘さが重なった味わいが特徴で、一粒でも十分な満足感がある。製品によってはブランデーやラム酒、コニャックなどの洋酒を加えて芳醇な香りをまとわせたタイプもあれば、天然バニラの風味だけで仕上げた洋酒不使用のタイプもあり、贈る相手や好みに合わせて選べる。
製菓用の材料として流通するものには、丸ごとの形を保った「ホールタイプ」と、製造中に割れた栗を集めた「ブロークンタイプ」がある。ブロークンタイプはホールに比べて価格が抑えられ、ケーキやパウンドケーキなどの生地に混ぜ込む用途に適している。
用途
マロングラッセは、そのまま一粒ずつ味わう高級菓子としてだけでなく、洋菓子づくりの原材料としても幅広く活用される。
パティスリーの現場では、モンブランやマロンタルトのトッピングに丸ごとの一粒をのせる使い方が定番だ。パウンドケーキの生地にブロークンタイプを刻んで混ぜ込めば、栗の甘みと食感がアクセントになる。ほかにも、アイスクリームやムースへの混ぜ込み、ショコラのセンター(中身)、ガレット・デ・ロワのフィリングなど、活躍の場は幅広い。
家庭のお菓子づくりにおいても、市販のブロークンタイプを利用すれば、マフィンやスコーン、パンの具材として手軽に取り入れられる。栗の甘露煮に比べると砂糖の浸透度が高く、しっとりとした食感が焼き菓子との相性に優れている点が製菓材料として重宝される理由のひとつだろう。
ギフトとしての需要も根強い。ヨーロッパでは、男性が愛する女性にマロングラッセを贈る習慣があるとされ、日本でもクリスマスや年末年始の贈答品、バレンタインのお返し、手土産などに選ばれることが多い。ひとつひとつ個包装された高級感のあるパッケージは、フォーマルな場面にもふさわしい。
主な原産国
マロングラッセに使われる栗は、ヨーロッパグリ(Castanea sativa)のなかでも大粒の「マロン」品質のものが求められる。マロン品質の栗は子葉が分かれておらず一枚の塊として見え、渋皮が浅い溝しかないため加工中に崩れにくい。ただし収量が少なく、一般的な栗(シャテーニュ)の3~4倍の価格になることもある。
主要な産地はイタリアとフランスの二か国で、両国は世界のマロングラッセ市場において原料供給と製造の中核をなしている。
イタリアでは、ピエモンテ州クーネオ県一帯が高品質な栗の産地として知られ、マロングラッセの発祥地のひとつとも言われる地域だ。ナポリ周辺も栗の産地として名高く、日本向けのマロングラッセ製品にもイタリア産の栗が多く使われている。
フランスでは、アルデッシュ県が栗の名産地として有名で、1882年にマロングラッセの工業生産を世界で初めて実現したクレマン・フォジエ社もこの地に誕生した。リヨン周辺やドーフィネ地方も古くからの栗の産地である。
このほか、トルコのブルサ地方では砂糖漬けの栗菓子「ケスターネ・シェケリ」が伝統的に生産されている。スペインのガリシア地方でも栗の栽培が盛んで、1980年代からマロングラッセの工業生産が行われるようになった。
選び方とポイント
マロングラッセを選ぶ際に注目したいのは、用途・洋酒の有無・栗の産地・形状の四つのポイントである。
まず用途について。そのまま食べるギフト用であれば、丸ごとの形を保ったホールタイプを選びたい。見た目の美しさも味わいのうちだからだ。一方、パウンドケーキやアイスクリームに混ぜ込むなど製菓材料として使うのであれば、ブロークンタイプがコストパフォーマンスに優れている。
洋酒の有無も見逃せない。ブランデーやコニャックで風味づけされたタイプは芳醇な香りが魅力だが、アルコールに弱い方や子どもが食べる場合には不向きとなる。バニラ風味だけで仕上げた洋酒不使用のタイプを選べば、幅広い層が安心して楽しめる。
栗の産地については、イタリア産が主流で、大粒で風味が濃厚な傾向がある。フランス産は上品な甘さが持ち味で、アルデッシュ産の栗を使った製品は現地でも高く評価されている。産地による味わいの違いを食べ比べてみるのも面白い。
形状については、製品のパッケージに記された表記を確認するとよい。「マロングラッセ」と書かれていれば丸ごと一粒のホールタイプ、「ブロークン」や「割れ」と書かれていれば製造途中で欠けたものを集めた製品だ。中間的なものとして、やや崩れたものが混在する「お徳用」パックもある。
保存方法についても一言触れておきたい。マロングラッセは糖度が高いため常温保存が可能な製品が多いが、開封後は冷蔵庫に入れて早めに食べ切るのが風味を損なわないコツだ。
メジャーな製品とメーカー名
日本で入手しやすいマロングラッセの製品と、代表的なメーカーを紹介する。
上野風月堂は、日本におけるマロングラッセの定番ブランドのひとつだ。イタリア産の大粒の栗を丁寧に渋皮を取り除いてから、シロップに何度もくぐらせて仕上げている。1粒ずつ金色のフィルムに包まれた上品なパッケージで、贈答品として長年親しまれてきた。なお、同じ風月堂の系譜に連なる東京凮月堂銀座もマロングラッセを製造しており、こちらはナポリ周辺のイタリア栗をコニャック入りの特製シロップで漬け込んでいる。
メリーチョコレートカムパニーのマロングラッセも広く知られている。イタリア産の厳選された大粒の栗を使い、手頃な価格帯でありながら品質が安定している。チョコレートメーカーならではの販路の広さから、百貨店やスーパーで見かける機会が多い。
北海道のチョコレートブランドであるロイズ(ROYCE’)は、洋酒を使わず天然バニラの風味だけで仕上げたマロングラッセを展開している。アルコールが苦手な方や子どもにも食べやすく、北海道土産としても人気がある。
銀座千疋屋総本店は、フルーツ専門店の目利きで選んだ大粒の栗を使い、素材の風味を生かした上品なマロングラッセを販売している。高級感のある化粧箱入りで、フォーマルなギフトに選ばれやすい。
海外メーカーでは、イタリアのアグリモンタナ(Agrimontana)社が製菓業界で高い評価を受けている。1972年にピエモンテ州クーネオで創業し、厳選したイタリア産マロンを化学添加物なしで加工する姿勢を貫いている。ホールタイプのキャンディドマロンのほか、マロンクリームやブロークンタイプなど製菓用素材のラインナップが豊富で、世界各地のパティスリーやレストランに卸している。
フランスのクレマン・フォジエ(Clément Faugier)社は、1882年にアルデッシュ県プリヴァでマロングラッセの工業生産を開始した老舗中の老舗だ。マロングラッセの製造過程で割れた栗をバニラで風味づけして甘く練り上げた「クレーム・ド・マロン(マロンクリーム)」は、同社の代表的な派生商品として世界中で愛されている。
歴史・由来
マロングラッセの歴史は、ヨーロッパにおける砂糖の普及と密接に結びついている。
中世、十字軍が中東から砂糖をヨーロッパに持ち帰ったことで、果実やナッツ類を砂糖漬けにする保存技術が広まった。しかし砂糖はきわめて高価な品であり、砂糖漬けの菓子は王侯貴族だけが口にできる贅沢品だった。
砂糖の入手がやや容易になった16世紀、栗の産地であるイタリア北西部のピエモンテ地方とフランス南東部の国境地帯で、栗を砂糖漬けにする試みが本格化する。イタリア側の説では、サヴォイア家のカルロ・エマヌエーレ1世(1562~1630年)に仕えた宮廷料理人がマロングラッセを考案したとされ、クーネオ一帯で栗が大量に収穫されていたことが背景にあった。このレシピは1790年にトリノで刊行された菓子書『Confetturiere Piemontese』にも記されている。
フランス側の説では、1667年にフランソワ・ピエール・ド・ラ・ヴァレンヌが著した『Le parfaict confiturier(完全なる製菓師)』に、栗をシロップ漬けにして「tirer au sec(シロップから引き上げて乾かす)」工程が記述されており、これがマロングラッセのレシピとして最古の文献記録と見なされることがある。ラ・ヴァレンヌはリヨン近郊のユクセル侯爵家で10年間料理長を務めた人物で、この地域もまた栗の産地であった。
いずれにしても、発祥をめぐる「イタリア対フランス」の論争は現在も決着していない。両国の国境にまたがるサヴォワ公国という歴史的背景を考えれば、どちらか一方に軍配を上げるのは難しいのだろう。
マロングラッセが大きな転機を迎えたのは19世紀後半のことだ。フランスのアルデッシュ県では絹産業の衰退により地域経済が低迷していた。土木技師だったクレマン・フォジエは地域の栗資源に着目し、1882年にプリヴァの町で地元の菓子職人と協力してマロングラッセの工業生産を開始した。世界初のマロングラッセ工場の誕生である。とはいえ、収穫から完成品に至るまでの約20の工程のうち多くは今なお手作業で行われており、完全な機械化には至っていない。
フォジエ社はさらに1885年、製造中に割れたマロングラッセをバニラで風味づけして甘い栗のペーストに仕上げた「クレーム・ド・マロン・ド・ラルデッシュ」を発売する。廃棄していた割れ栗を商品に変えたこの発想は、のちにモンブランなど栗クリームを使った菓子の広がりにも貢献した。
日本にマロングラッセが伝わったのは明治時代のことである。1892年(明治25年)に米津凮月堂がマロングラッセの製造・発売を行った記録が残っており、日本における洋菓子史の一コマとして注目される。その後、大正・昭和と時代が進むなかで、マロングラッセは高級洋菓子の代名詞として日本でも認知を広げていった。
現在のマロングラッセの製法は、19世紀初頭に活躍したフランスの天才料理人アントナン・カレーム(1784~1833年)が現在の形に完成させたと伝えられている。カレームは建築のように壮麗な菓子を生み出した人物として知られ、砂糖細工をはじめとする菓子技術の発展に多大な功績を残した。
こうした長い歴史を経て、マロングラッセは「愛の証」としての象徴的な意味合いも帯びるようになった。ヨーロッパでは、男性が愛する女性にマロングラッセを贈る風習があるとされる。その由来については、紀元前のアレクサンドロス大王が妻ロクサネのために作ったという伝説が語られることもあるが、この逸話には確たる歴史的根拠が見つかっておらず、ロマンチックな言い伝えの域を出ない点には留意しておきたい。
いずれにせよ、何日もかけてシロップに漬け込み、一粒一粒丁寧に仕上げるその製法は、手間と時間を惜しまない菓子職人の愛情そのものだ。マロングラッセが「お菓子の宝石」と呼ばれ続ける理由は、まさにそこにあるのだろう。
