材料の名前
日本語では「松の実(まつのみ)」と呼ばれる。
漢方や生薬の世界では「海松子(かいしょうし)」の名でも知られている。英語では「pine nut(パインナッツ)」、イタリア語では「pinoli(ピノーリ)」、スペイン語では「piñón(ピニョン)」と表記される。フランス語では「pignon de pin(ピニョン・ドゥ・パン)」、韓国語では「잣(チャッ)」、中国語では「松子(ソンズ)」が一般的だ。料理やお菓子の世界では、英語圏やイタリア料理の影響で「パインナッツ」「ピノーリ」と記載されることも多い。
特徴
松の実は、マツ科マツ属の植物から採れる種子の胚乳部分を指す。植物学上は「ナッツ」ではなく「種子」に分類されるが、料理や製菓の現場ではナッツの仲間として扱われている。
見た目は長さ1〜2cmほどの乳白色からクリーム色をした小さな粒で、細長い涙型をしている。ヨーロッパ産のイタリアカサマツ(Pinus pinea)由来のものはやや細長く、アジア産のチョウセンゴヨウ(Pinus koraiensis)由来のものはずんぐりとした三角形に近い形をしているのが外見上の違いだ。
味わいの特徴は、まろやかな甘みとコクのある風味にある。生の状態でもほんのりとした甘さを感じるが、ローストすると香ばしさが一気に引き立ち、バターのようなリッチな風味が広がる。クセが少ないため、甘いお菓子にも塩味の料理にも合わせやすい万能な素材といえる。
栄養面では、脂質が全体の約7割を占める高エネルギー食品である。ただし、その脂質の大半はオレイン酸やリノール酸といった不飽和脂肪酸で構成されている。さらに注目すべきは、松の実にほぼ特有の脂肪酸である「ピノレン酸」を含んでいる点だ。ピノレン酸は炎症を抑える働きや、食欲を調整するホルモン(コレシストキニン)の分泌を促す可能性が研究で示唆されており、他のナッツにはない独自の健康価値として関心を集めている。
このほか、100gあたりビタミンEを約9.3mg、マグネシウムを約251mg、亜鉛を約6.5mg、鉄分を約5.5mg含むなど、ミネラルやビタミンの供給源としても優れている。タンパク質も約14g含まれ、植物性食品としてはかなりの高タンパクだ。
一方で、脂質が多いぶん酸化しやすいという弱点がある。開封後に常温で放置すると、短期間で油焼けを起こして独特の嫌な臭いが出てしまう。この扱いの繊細さが、製菓材料としての保管上の注意点となる。
用途
お菓子の世界における松の実の用途は、地域や文化によって多彩に広がっている。
まずイタリアでは、「ビスコッティ・アイ・ピノーリ(Biscotti ai Pinoli)」と呼ばれる松の実クッキーが定番だ。アメリカのイタリア系コミュニティでは「ピニョリクッキー(Pignoli Cookies)」の名で親しまれ、アーモンドペーストを主体にした生地の表面に松の実をまぶして焼き上げる。外はカリッとした松の実の歯ごたえ、中はしっとりしたマカロン風の食感で、クリスマスシーズンの定番菓子として根強い人気がある。
イタリアにはもうひとつ、「トルタ・デッラ・ノンナ(Torta della Nonna)」という伝統的な家庭菓子がある。カスタードクリームを詰めたタルトの上に松の実を散らし、粉糖をふりかけて焼く素朴なお菓子で、「おばあちゃんのケーキ」という名前のとおり、家庭ごとにレシピが受け継がれている。
スペインのカタルーニャ地方では、「パネレッツ(Panellets)」が有名だ。マジパン(アーモンドと砂糖の生地)を小さく丸めて表面に松の実をびっしりと貼りつけ、卵液を塗って軽く焼いたもので、11月1日の万聖節(諸聖人の日)に食べる伝統がある。
中東のレバント地方では、バクラヴァ(Baklava)のトッピングとして松の実が使われることがある。フィロ生地にナッツ類を挟んでシロップをかけるこの菓子に松の実を加えると、独特のまろやかさが生まれる。
韓国では、松の実をすりつぶして作る「チャッチュク(잣죽)」という温かいお粥が伝統的な滋養食として知られる。甘みをつけてデザート感覚で食べることもある。また、餅(トッ)やヤクシク(薬食)と呼ばれる甘いおこわの飾りとしても松の実は欠かせない。
日本国内では、松の実をそのまま製菓材料として使う機会はまだ多くはないが、パウンドケーキやクッキー生地に混ぜ込んだり、タルトのトッピングに用いたりする洋菓子店が増えてきた。また、ジェノベーゼソースの材料として知られるように、パスタやパンとの相性もよく、製パン分野でフォカッチャに散らすといった使い方も見られる。
主な原産国
食用の松の実を供給する樹種は世界に約20種あり、地域によって利用される松の種類が異なる。
現在、世界最大の松の実輸出国は中国である。中国東北部の吉林省、遼寧省、黒龍江省を中心に、チョウセンゴヨウ(Pinus koraiensis)の種子が大量に生産されている。日本に輸入される松の実もその大半が中国産だ。
ロシアもまた主要な産地で、シベリア地方に自生するシベリアマツ(Pinus sibirica)の実が広く採取されている。バイカル湖周辺では松の実が土産品としても有名で、ロシア国内の消費量も多い。
モンゴルでは「サマル」と呼ばれるシベリアマツの松の実が昔から食されており、近年は輸出量も増えている。
パキスタンとアフガニスタンは、ヒマラヤ西部に自生するチルゴザマツ(Pinus gerardiana)の実の産地として知られる。粒が大きく風味が強いのが特徴で、現地では高級食材として扱われている。
ヨーロッパでは、イタリア、スペイン、ポルトガル、トルコなどの地中海沿岸諸国でイタリアカサマツ(Pinus pinea)の実が古くから利用されてきた。ヨーロッパ産は粒がやや細長く、上品な甘さがあるとされるが、価格はアジア産よりも高めになる。
北米南西部では、ピニョンマツ(Pinus edulis)の実がネイティブアメリカンの伝統食として数千年にわたり利用されてきた。殻付きのまま煎って食べる習慣が今も残っている。
朝鮮半島でも松の実の生産が行われ、韓国料理や韓方(韓国独自の伝統医学)において欠かせない食材のひとつとなっている。
選び方とポイント
松の実を選ぶ際にまず確認したいのは、粒の色と形だ。新鮮な松の実は全体的に均一なクリーム色をしている。黄色みが強かったり、部分的に茶色く変色していたりするものは、酸化が進んでいる可能性がある。
粒の大きさが揃っているかどうかも品質の目安になる。割れた粒や欠けた粒が多く混ざっている場合は、加工や保管の過程で品質管理が行き届いていないことがある。
香りも判断材料だ。開封したときにほのかな甘い香りがするものは鮮度がよい。反対に、油っぽい嫌な臭いや酸っぱい臭いがする場合は酸化している。
製菓用として購入する場合は、「生タイプ」と「ロースト済みタイプ」のどちらが適しているかを事前に考えておくとよい。焼き菓子に混ぜ込むなら生タイプを選び、オーブンで一緒に加熱することで香ばしさを引き出せる。一方、仕上げのトッピングや、加熱しないスイーツに使うならロースト済みが便利だ。
保存方法も重要なポイントだ。松の実は脂質が多いため酸化しやすく、開封後は密閉できる保存袋や容器に入れて冷蔵庫で保管するのが基本となる。長期間使わない場合は、小分けにして冷凍保存すれば半年程度は品質を維持できる。
産地による味の違いも知っておきたい。中国産は流通量が多く価格も手ごろで、日常の製菓材料に適している。ヨーロッパ産(とくにイタリアやスペイン産)は高価だが、独特の繊細な甘みがあり、ここぞという高級菓子に向く。モンゴル産はピノレン酸の含有量が比較的多いとされ、健康志向の製品に使われることがある。
メジャーな製品とメーカー名
日本国内で手に入る松の実の製品は、業務用から家庭向けまで幅広い。
まず製菓材料の専門メーカーとして知名度が高いのが富澤商店(TOMIZ)だ。「松の実(生)」と「松の実ロースト」の2種類を展開しており、8gの少量パックから500gの大容量パックまで、用途に合わせたサイズを選べる。原産国は中国で、製菓・製パン材料の購入先として多くのパティシエや家庭の菓子づくり愛好家に利用されている。
ナッツ専門メーカーの東洋ナッツ食品(トンブランド)は、「食塩無添加 松の実」を28g入りのパックで販売している。1959年創業の老舗ナッツメーカーで、スーパーマーケットやドラッグストアでも取り扱いがあるため、入手しやすい。
ユウキ食品の「松の実」は、中華食材のラインナップのひとつとして50gパックで販売されている。中華菓子や薬膳スイーツに使いたいときに手ごろな分量で、スーパーの中華食材コーナーで見つけやすい。
小島屋は、上野のアメ横に店舗を構えるナッツ・ドライフルーツの専門店で、オンラインショップでも松の実を販売している。「特級AAグレード」と銘打った大粒タイプが人気商品で、品質にこだわりたい製菓ユーザーに支持されている。
サンナッツ食品は、業務用ナッツの取り扱いが多いメーカーで、松の実の業務用パックを製菓・製パン業界向けに供給している。中国吉林省や遼寧省を主な仕入れ先としており、加工工場での選別や残留農薬検査にも対応している。
歴史・由来
松の実の食用の歴史は、人類史のなかでもとりわけ古い。ヨーロッパとアジアでは旧石器時代(パレオリシック)からすでに食べられていたと考えられている。
地中海地域では、イタリアカサマツ(Pinus pinea)の栽培が5000年以上前に始まったとされる。古代ローマ時代には松の実が珍味として扱われ、蜂蜜に漬けて保存食にする習慣があった。西暦79年のヴェスヴィオ火山噴火で埋もれたポンペイの遺跡からも、炭化した松の実が出土している。ローマ軍団は行軍時の携帯食として松の実を持ち歩いていたという記録も残る。
中国における松の実の利用も古い。漢代(紀元前206年〜紀元220年)にはすでに松の実が食されていたことが、六朝時代に書かれた『漢武内伝』に記されている。中国では松の実を「仙人が食べるもの」と称し、不老長寿の象徴として珍重した。唐代の薬学書『海薬本草』には「長く服用すれば寿命が延び、年を取らない」との記載があり、明代の『本草経疏』にも「味は甘で、五臓を潤し、体が軽くなる」と記録されている。こうした文献からも、松の実が単なる食品ではなく、薬膳や漢方の素材として千年以上にわたり重視されてきたことがわかる。
朝鮮半島でも松の実は古くから王族や貴族の食卓を飾る高級食材だった。チョウセンゴヨウの実は韓国語で「チャッ」と呼ばれ、参鶏湯(サムゲタン)やチャッチュク(松の実粥)をはじめとする薬膳料理に使われてきた。韓方(ハンバン)の考え方では、松の実は体を温め、気を補い、肺を潤すとされている。
北米大陸では、ネイティブアメリカンのショショーニ族、パイユート族、ナバホ族、プエブロ族、ホピ族などが、数千年にわたりピニョンマツの実を主要な食料源として利用してきた。秋に松ぼっくりを収穫し、天日で乾燥させてから殻を割って食べるという伝統は、今も続いている。ネバダ州などでは、条約や州法によってネイティブアメリカンの松の実採取権が保護されている。
日本においては、松の実が菓子材料として意識されるようになったのは比較的近年のことだ。イタリア料理のジェノベーゼソースが日本で広まった1990年代以降、松の実の認知度が上がった。さらに、薬膳や健康食品への関心が高まるなかで、ピノレン酸をはじめとする松の実特有の栄養成分にも注目が集まり、製菓材料としての存在感が徐々に増してきている。
松ぼっくりの鱗片をひとつひとつ剥いて取り出さなければならないという収穫の手間、成木になるまで数十年を要するという時間的コスト、さらに高所での手摘みという危険を伴う作業。松の実が他のナッツに比べて高価なのは、こうした背景があるからにほかならない。小さな一粒に込められた歴史と手間を知ると、お菓子に散らされた松の実の一粒一粒が、いっそう味わい深く感じられるはずだ。
