材料の名前

日本語では「ビート糖」あるいは「てんさい糖(甜菜糖)」と呼ばれる。原料となる植物の和名は「テンサイ(甜菜)」で、「砂糖大根(サトウダイコン)」という別名も広く知られている。ただし、見た目がダイコンに似ているだけで、分類上はアブラナ科のダイコンとは全く別の植物にあたる。

英語では原料植物を “Sugar beet”、そこから作られる砂糖を “Beet sugar” と表記する。フランス語では “Sucre de betterave”、ドイツ語では “Rübenzucker” と呼ばれ、いずれもビート(甜菜)由来の砂糖であることを端的に示した名称だ。学名は Beta vulgaris ssp. vulgaris で、ヒユ科フダンソウ属に分類される二年生植物である。ホウレンソウと同じヒユ科に属するという事実は、あまり知られていない。

特徴

てんさい糖の最大の特徴は、やわらかく穏やかな甘さにある。上白糖のようなキレのある甘みとは異なり、口あたりがまろやかでコクを感じやすい。これは、精製度を抑えた含蜜糖として製造される場合に、原料のてん菜に含まれる糖蜜がそのまま残っているためだ。

色味は淡い茶褐色をしており、これは糖蜜由来の天然の色である。カラメルや着色料で色づけしているわけではない。一方、てん菜を原料にしていても精製を進めれば、一般的な白い上白糖やグラニュー糖にもなる。北海道で製造される「耕地白糖」がその代表例で、真っ白に精製されたものはサトウキビ由来の砂糖と成分上ほとんど変わらない。

てんさい糖ならではの成分として注目されるのが、天然のオリゴ糖(ラフィノース、ケストースなど)だ。含蜜糖タイプのてんさい糖には、このオリゴ糖が含まれている。オリゴ糖はビフィズス菌など腸内の善玉菌のエサになるとされ、腸内環境を整える働きが期待できる素材として知られている。また、カリウムやカルシウムといったミネラル分も微量ながら含まれる。

カロリーについては100gあたり約382kcal前後で、上白糖の約384kcalと大差はない。「てんさい糖だから低カロリー」というわけではないため、その点は正しく理解しておきたい。甘味度は上白糖と比較するとやや控えめに感じられるため、料理やお菓子づくりで置き換える場合には、好みに応じて分量を微調整するとよい。

用途

てんさい糖は幅広いお菓子づくりに活用できる。まろやかな甘さとほのかなコクは、焼き菓子との相性がとくに良い。クッキー、マフィン、パウンドケーキなどに使うと、素朴でやさしい味わいに仕上がる。白砂糖のようなすっきりした甘みではなく、深みのある風味を加えたい場面で力を発揮する。

煮物や照り焼きなど和食の調味にもよく合う。上白糖の代わりにてんさい糖を使うと、煮物がまろやかに仕上がるため、家庭料理での置き換えに取り入れる人も増えている。また、ヨーグルトやシリアルにそのままかけるなど、卓上での使い方も手軽だ。顆粒状のてんさい糖はさらさらとして溶けやすく、飲み物にも使いやすい。

業務用途としては、チョコレートやジュース、パンなどの原材料として大量に使用されている。日本甜菜製糖の公式サイトによれば、北海道で製造されたてん菜糖は全国の加工食品メーカーに広く納入されており、消費者が日常的に口にしている加工食品の多くにてん菜由来の砂糖が含まれているという。日本の国内原料から製造される砂糖のうち約80%がてん菜糖であり、身近な食品の甘さを支える存在だ。

そのほか、てん菜から抽出したラフィノース(天然オリゴ糖)は健康食品やサプリメントの原料としても活用されている。さらに、砂糖を取り出した後の搾りかす(ビートパルプ)は家畜の飼料に、糖蜜はパン用イーストの製造にも利用されるなど、てん菜は捨てるところがほとんどない万能作物である。

主な原産国・産地

てん菜という植物そのものの原産地は、地中海沿岸やカスピ海・コーカサス地方とされている。寒冷な気候を好む作物で、温帯から亜寒帯にかけての地域で広く栽培されてきた。

2024年時点のてん菜生産量で世界をリードしているのはロシアで、約4,668万トンを生産している。これにドイツ(約3,668万トン)、フランス(約3,259万トン)、アメリカ合衆国が続く。ヨーロッパ諸国の生産量は世界全体のおよそ40%を占めており、ヨーロッパにおける「砂糖」とは、歴史的にも実質的にもてん菜糖のことを意味する場面が多い。世界全体の砂糖生産量に占めるてん菜糖の割合は約35%で、残りの約65%がサトウキビ由来だ。

日本国内のてん菜栽培は、北海道に限定されている。冷涼な気候が適しているためで、十勝地方や網走地方、上川地方を中心に栽培が盛んだ。日本甜菜製糖、ホクレン農業協同組合連合会といった企業・団体が、北海道内に製糖工場を構えて砂糖の製造を行っている。国産砂糖の原料としては、沖縄・鹿児島のサトウキビと並ぶ二大原料であり、国内原料から作られる砂糖の約80%を北海道のてん菜が担っている。

選び方とポイント

てんさい糖を選ぶ際に最初に確認したいのは、「含蜜糖」か「分蜜糖」かという点だ。一般的に茶色い見た目で「てんさい糖」として販売されている商品は含蜜糖のタイプで、糖蜜ごと乾燥させて仕上げたもの。オリゴ糖やミネラルが残りやすく、独特のコクやまろやかさを味わえる。一方、てん菜を原料にしていても精製度を高めた上白糖やグラニュー糖は分蜜糖にあたり、癖のないすっきりとした甘みが特徴になる。

形状も選択のポイントになる。顆粒タイプはさらさらしていて溶けやすく、飲み物や料理全般に使いやすい。粉末タイプはお菓子づくりで生地に混ぜ込みやすいという利点がある。液体タイプのてんさいオリゴ糖シロップは、ヨーグルトやパンケーキにそのままかけられる手軽さが魅力だ。

原料の産地にも注目したい。国産(北海道産)のてん菜を100%使用している製品は、パッケージに「北海道産てん菜使用」などと明記されていることが多い。原材料表示を見て、てん菜以外の原料が混合されていないかを確認するのもひとつの選び方だ。遺伝子組み換え作物が気になる場合は、国産てん菜を原料にした製品を選ぶと安心できる。日本国内で栽培されているてん菜には、遺伝子組み換え品種は使用されていない。

メジャーな製品とメーカー名

日本国内で手に入るてんさい糖製品のなかから、代表的なものをいくつか挙げる。

ホクレン農業協同組合連合会の「てんさい糖」は、北海道産てん菜を原料にした含蜜糖の定番商品だ。薄茶色の顆粒状で、スーパーの砂糖売り場で見かける機会がもっとも多い製品のひとつといえる。まろやかな甘さが特徴で、料理からお菓子づくり、飲み物まで幅広く使える。容量は650gが一般的な家庭用サイズとして流通している。

大東製糖の「てんさいのお砂糖」は、北海道産てん菜の原料糖と糖蜜を丁寧に焚き上げ、自然結晶させた含蜜糖だ。コクのある風味とくちどけのよさに定評があり、お菓子づくりに使う人も多い。500g入りで販売されている。

山口製糖の「ビート糖 粉末」は、粉末状に仕上げたてんさい糖として知られている。粒子が細かいため、生地にムラなく混ざりやすく、製菓に向いている。

日本甜菜製糖は「スズラン印」ブランドで上白糖やグラニュー糖を展開しており、北海道では馴染みの深いメーカーだ。含蜜糖の「まろやかてんさい糖」や、液体タイプの「北海道ビートオリゴ」なども手がけている。「北海道ビートオリゴ」はてん菜由来のオリゴ糖を含んだシロップ状の製品で、ヨーグルトや飲み物に手軽に使える。

加藤美蜂園本舗の「北海道てんさいオリゴ」も、液体タイプのてんさいオリゴ糖シロップとして広く流通している製品だ。はちみつメーカーならではの使い切りやすい容器デザインが支持されている。

歴史・由来

てん菜から砂糖が取り出せると発見されたのは、1747年のことだった。ドイツの化学者アンドレアス・マルクグラーフが、飼料用のビートの根から砂糖の成分であるショ糖を分離することに成功し、プロイセン科学アカデミーで報告した。当時、てん菜の根が甘い汁を含むことは経験的に知られていたが、それがサトウキビから得られる砂糖と同じ成分だとは認識されていなかったのだ。

マルクグラーフの弟子フランツ・アシャールは、この研究を実用化へと発展させた。アシャールはてん菜の品種改良にも取り組み、1801年にはプロイセン(現在のポーランド領内)のクーネルンに世界初のてん菜糖工場を建設し、操業を開始した。

てん菜糖の製造が爆発的に広がるきっかけとなったのが、ナポレオン・ボナパルトによる大陸封鎖令だ。1806年、ナポレオンはイギリスとその植民地からの物資をヨーロッパ大陸から締め出した。この影響でイギリス経由で輸入されていたサトウキビ由来の砂糖がヨーロッパに届かなくなり、砂糖の価格が急騰した。そこで、ヨーロッパの気候でも栽培できるてん菜から砂糖を製造する動きが各地で活発になった。ナポレオン自身もてん菜糖業を強く奨励したため、フランスをはじめ各国に製糖工場が次々と建設されていった。1850年頃にはヨーロッパのてん菜糖業の基礎が確立したとされている。こうした経緯から、ナポレオンは「てん菜糖の育ての親」とも呼ばれる。

日本にてん菜が導入されたのは明治3年(1870年)のことだ。西欧諸国に追いつくことを目標とした明治政府が、農業近代化の一環としててん菜の種子を海外から取り寄せ、試験栽培を開始した。転機となったのは明治11年(1878年)のパリ万国博覧会で、派遣された勧農局長・松方正義(のちの第4代内閣総理大臣)がヨーロッパのてん菜糖業の隆盛を目の当たりにし、日本への本格導入を決意する。帰国後、松方は北海道の紋別(現在の伊達市)に官営の製糖工場建設を推進し、明治14年(1881年)に操業を開始した。

しかし、農業・工業の両面で技術が未熟だったため、この官営工場は明治29年(1896年)に事業を放棄して解散に追い込まれた。明治21年(1888年)に札幌で新設された製糖工場も同様の運命をたどり、明治34年(1901年)に閉鎖された。この札幌の製糖工場の建物は、後にビール工場に転用され、現在の札幌観光名所「サッポロビール園」の前身となったというエピソードが残っている。

約20年の空白期間を経て、大正8年(1919年)にてん菜糖事業が再始動する。松方正義の子息・松方正熊が社長を務めた北海道製糖と、旧日本甜菜製糖の2社が十勝の帯広と清水に工場を建設した。両社はやがて実質的に合併し、現在の日本甜菜製糖株式会社として今日まで事業を継続している。

第二次世界大戦中は食糧増産の要請もあって栽培面積が拡大したが、戦後は経営難に陥る時期もあった。その後、品種改良や栽培技術の向上、機械化の進展により生産性が飛躍的に高まり、現在では北海道の基幹農産物のひとつに位置づけられている。

免責事項

商品紹介等については、公式サイトおよび公開情報を基に作成しております。
記載内容は掲載時時点での参考値です。商品仕様は予告なく変更される場合があります。
購入・ご利用の際は必ず最新のパッケージ表示または公式情報をご確認ください。特に食物アレルギーをお持ちの方は原材料を十分にご確認の上お求めください。
本記事の内容ならびに画像の一部にAIを使用している場合があります。
画像はイメージの場合があり、説明内容とは異なる場合があります。
当記事の内容により生じた損害について、作成者は一切の責任を負いません。