材料の名前
日本語では「桜葉(さくらば)」と呼ぶ。和菓子の世界では、塩漬けの状態で流通するため「桜葉漬け(さくらばづけ)」と記載されることも多い。英語では “salt-pickled cherry leaves” あるいは “salted cherry blossom leaves” と表記され、海外のレシピサイトでは “sakura leaves” とそのままローマ字で記されるケースも少なくない。使用される桜の品種はオオシマザクラ(大島桜、学名:Cerasus speciosa)が主流で、バラ科サクラ属に分類される日本固有の野生種である。
特徴
桜葉の最大の魅力は、塩漬けによって生まれる甘く華やかな芳香にある。生の葉にはほとんど香りがないが、塩漬けにすると細胞が壊れて酵素が働き、「クマリン(coumarin)」と呼ばれる芳香成分が生成される。クマリンはバニラに似たやわらかな甘さをもつラクトン類の一種で、桜餅を口に近づけたときにふわりと広がるあの独特の香りの正体がこれだ。漬け込みを始めて2~3日で香りが出始め、おおむね1か月後にはしっかりとした芳香が生まれるとされる。
オオシマザクラの葉が選ばれる理由はいくつかある。まず、ソメイヨシノやヤエザクラに比べて葉が大きく、桜餅や蒸し菓子をゆったり包めるサイズ感がある。次に、葉の裏面に産毛(うぶげ)がまったくないため、口当たりがなめらかで食べやすい。さらに、ほかの品種よりもクマリンの含有量が多く、塩漬けにしたときの香り立ちが格段に豊かである。ヤマザクラの葉は塩漬けにしても芳香がほぼ得られないが、オオシマザクラを片親とするソメイヨシノの葉にはある程度の香りが出る。こうした品種ごとの差異が、オオシマザクラ一択という現在の市場を形づくった。
塩漬け後の葉の色合いにも注目したい。市販品には「茶色」と「緑色」の二種類がある。茶色のものは長期間しっかり熟成させたもので、べっこう色とも表現される深い飴色に変化している。香りが豊かで、伝統的な桜餅にはこちらが多く使われる。一方、緑色のものは漬け込み期間が比較的短い浅漬けタイプで、見た目の鮮やかさを生かしたい洋菓子やデコレーション向きだ。
用途
桜葉の代表的な用途は、やはり桜餅である。関東風(長命寺タイプ)はクレープ状の薄い生地であんを巻き、桜葉で包む。関西風(道明寺タイプ)は道明寺粉を蒸してつくったもちもちの生地であんを包み、同じく桜葉をまとわせる。どちらのタイプでも、桜葉は香りづけ、塩味のアクセント、餅の乾燥防止という三つの役割を同時に果たしている。
和菓子以外の用途も広がっている。桜葉を細かく刻んでパウンドケーキやラングドシャの生地に混ぜ込む手法は、春の洋菓子として定番になりつつある。桜葉をパウダー状に加工した「桜葉パウダー」は、クッキーやチョコレート、アイスクリームなどにも使いやすく、製菓材料店で通年入手できる。魚料理の分野では、白身魚を桜葉で巻いて蒸す「桜蒸し」が懐石料理の春の一品として知られている。桜湯(桜茶)に使われるのは主に花の塩漬けだが、葉を添えて香りを補う場合もある。
近年はパン業界でも活用が目立ち、桜あんぱんの表面に桜葉を一枚貼り付けた商品や、桜葉入りのデニッシュが春限定で店頭に並ぶ。こうした商品展開を支えているのが、富澤商店や山眞産業といった製菓材料の専門メーカーによる小分けパック商品の充実である。
主な原産国と産地
桜葉漬けの原料となるオオシマザクラは日本固有種であり、お菓子用の桜葉はほぼ日本国内で消費されている。国内最大の産地は静岡県賀茂郡松崎町で、全国シェアの約70パーセントを占める。2024年の松崎町の桜葉生産量はおよそ2000万枚と報じられており、名実ともに「桜葉の里」と呼ぶにふさわしい規模を誇る。
松崎町がここまで大きな産地となった背景には、自然環境と歴史的経緯の両面がある。伊豆半島の西海岸に位置する同町は年間を通じて温暖で、日照時間も十分。さらに海沿いでありながら強風が吹きつけにくい地形のおかげで葉がこすれて傷むことが少なく、日当たりと水はけに恵まれた段々畑がオオシマザクラの栽培に適していた。
松崎町に隣接する南伊豆町の子浦地区が桜葉漬けの発祥地とされており、明治末期から始まった生産が昭和初期に松崎町へ広がった。1960年代には畑地栽培への本格的な転換が進み、1987年頃に生産のピークを迎えている。2001年時点では約200戸の農家がオオシマザクラを栽培していたが、その後は高齢化による農家の減少が課題として続いている。
一方、業務用途では中国産の桜葉も流通している。中国の契約農園でオオシマザクラを栽培し、日本の技術指導のもとで品質管理を行ったうえで輸入される。価格面では国産より手ごろで、大量に桜餅を製造する和菓子メーカーや量販店向けの需要を支えている。
選び方とポイント
桜葉を購入する際、まず確認したいのは「用途に合った色」の選択である。桜餅など伝統的な和菓子には、熟成の進んだ茶色(べっこう色)の葉が向いている。香りが深く、塩味と餅の甘みのバランスがよくとれる。見た目の鮮やかさを重視する洋菓子のデコレーションやSNS映えを意識した菓子には、緑色の葉が映える。
次にサイズの確認も欠かせない。製菓材料店では、S・M・MSなど葉の大きさ別に販売されていることが多い。桜餅一個を包むには長さ14~16センチメートル程度のMサイズが使いやすい。小ぶりのひとくち菓子にはSサイズ、大きめの道明寺タイプにはそれ以上のサイズを選ぶとよい。
産地についても意識したい。国産、とりわけ伊豆産を明記した商品は、香りの強さや葉の形の美しさで定評がある。富澤商店の「桜葉の塩漬(伊豆産)」は、原材料欄に「大島桜葉(静岡県産)」と記載されており、産地が明確でわかりやすい。中国産は価格が手ごろなので、大量に使用する場合や練習用として活用するのも一つの手だ。
保存方法にも気を配りたい。塩漬けの桜葉は冷暗所での保存が基本だが、夏場は冷蔵庫に入れるのが望ましい。開封後に使い切れない分は冷凍保存が可能で、解凍後もそれほど風味を損なわない。ただし、塩水から取り出した状態で長時間放置すると変色が進むため、使う直前に必要な枚数だけ取り出すのがコツである。
使用前の下処理としては、流水でさっと洗って表面の塩を落とし、水気を軽く拭き取る。塩味を控えめにしたい場合は5~10分ほど水にさらして塩抜きするとよいが、抜きすぎると香りまで飛んでしまうため加減が大切だ。
メジャーな製品とメーカー名
桜葉の塩漬けを製造・販売する主要なメーカーと製品をいくつか紹介する。
山眞産業株式会社(名古屋市)は、桜素材の専門メーカーとして知られる存在だ。「花びら舎」というブランドを展開しており、伊豆松崎町産の国産桜葉のほか、中国の契約農園で栽培したオオシマザクラの葉も取り扱っている。50枚入りの小分け真空パックから業務用の大容量まで幅広いラインナップを揃え、製菓材料専門店のcottaやシモジマのオンラインショップでも購入できる。桜葉だけでなく、桜花の塩漬け、桜あん、桜葉パウダーなど桜関連素材を総合的に手がけている点が強みである。
富澤商店(TOMIZ)は、製菓・製パン材料の総合専門店として全国に実店舗とオンラインショップを展開している。「桜葉の塩漬(伊豆産)」は10枚入り、45枚入り、500枚入りと用途に応じたサイズ展開で、家庭用から業務用まで対応する。原材料は「大島桜葉(静岡県産)」と産地を明記しており、品質への信頼感が高い。
天極堂(井上天極堂)は、奈良県に本拠を置く吉野本葛の老舗で、1870年の創業以来、和菓子材料を幅広く扱っている。同社の「天極堂プロ」ブランドでは、国産の静岡県産桜葉を茶色と緑色の二種類で販売しており、プロの和菓子職人にも支持されている。
あんこの内藤は、三重県に拠点を構える餡子の専門メーカーで、桜葉の塩漬けも国産・中国産の両方を取り扱っている。あんこと桜葉をセットで購入できるため、桜餅の材料を一度にそろえたい場合に便利だ。
歴史・由来
桜の葉を食用として活用した記録は、江戸時代にさかのぼる。享保二年(1717年)、現在の東京都墨田区向島にある長命寺の門番を務めていた山本新六が、隅田川沿いの桜並木から落ちてくる大量の葉を塩漬けにし、餅を包んで門前で売り出した。これが桜餅の始まりとされ、「長命寺桜もち 山本や」は現在も同じ場所で営業を続けている。当時の隅田堤はすでに桜の名所であり、花見客に大いに喜ばれたという。
ただし、江戸時代の桜餅に使われていた葉がオオシマザクラであったかどうかは定かではない。桜葉を産業として本格的に生産するようになったのは、伊豆半島での取り組みが始まってからだ。
伊豆半島における桜葉漬けの歴史は、明治末期の1910年頃に南伊豆町の子浦地区で始まった。当時の子浦では、木炭の原料として成長の早いオオシマザクラが山林で育てられていた。その葉を塩漬けにして和菓子用に出荷するという副業が生まれ、沼津港を経由して各地へ流通するようになった。
需要の増加にともない、隣接する松崎町の岩科川上流地域にも生産が広がる。1932年には松崎港からも桜葉漬けが出荷されるようになった。この頃はまだ山に自生するオオシマザクラの葉を摘む「山採り」が中心だった。
転機となったのは、1950年代以降の燃料革命である。石油やガスが普及したことで木炭の需要が激減し、薪炭用のオオシマザクラ林は存在意義を失った。一方で、クワやコムギの生産も低迷していたため、松崎町の農家はこれらの畑をオオシマザクラの桜葉畑に転換し始めた。畑での栽培に切り替えたことで効率的に葉を収穫できるようになり、1960年代以降、生産量は飛躍的に伸びた。
桜葉畑の特徴的な栽培法も、この時期に確立されたものだ。毎年1月下旬から2月上旬にかけて、オオシマザクラの木を根元から20~30センチメートルの高さで剪定する。春になるとそこから新しい枝が勢いよく伸び、若くてやわらかい葉がたくさんつく。収穫期は5月上旬から8月下旬まで。一枚一枚手で丁寧に摘み取り、大きさを選別したうえで50枚ずつカヤの紐でくくる。この束ねる作業は「まるけ」と呼ばれ、桜葉づくりの現場でのみ使われる独特の言葉だ。
収穫された葉は、その日のうちに工場へ運ばれて塩漬けにされる。鮮度が品質に直結するため、摘んだまま一晩置くことは許されない。大きな樽に桜葉を円形に並べて塩を振り、500束あたり約10キログラムの塩を使用する。重しをのせて蓋をし、半年から1年ほどかけてじっくり漬け込む。仕上がった桜葉は美しいべっこう色をまとい、甘い芳香を放つ。
1987年頃が松崎町における桜葉生産のピークだったとされる。その後、栽培農家の高齢化や後継者不足が深刻化し、生産規模は緩やかに縮小してきた。それでも松崎町は全国シェアの約70パーセントを維持しており、2001年(平成13年)には環境省の「かおり風景100選」に「松崎町桜葉の塩漬け」が選出された。桜葉を漬け込む時期になると、町じゅうに甘い香りが漂う風景が評価されたものだ。
松崎町では桜餅のことを「桜葉餅(さくらばもち)」と呼ぶ。全国的には春の季節菓子という位置づけだが、葉の産地であるこの町では年間を通じて複数の和菓子店が桜葉餅を販売している。関東風と関西風の両方が手に入り、店ごとに餅や餡の味わいが異なるため、食べ比べを楽しむ観光客も多い。
桜葉という素材は、一枚の葉に日本の食文化、農業の歴史、地域の暮らしが凝縮されている。江戸時代の門前菓子から始まり、伊豆の農家の知恵と努力によって産業へと発展し、春を告げるお菓子の香りとして今も私たちの食卓に届き続けている。
